上町所在、八幡山淸淨院といふ、淨土宗鎭西派の所屬で、飯沼弘經寺の寺末になつて居る。江戸時代には、淨土宗ながら正八幡宮の別當を務めて居つたのは異例としよう。糺の森の藥師堂もその所管であつた。創立は明瞭でなく、中興開基は慶長元年となつて居る。萬治年中に弘經寺の名僧以傳和尙から八幡山の山號を受けた。要するに當時は寺格も低く、微々たる所在であつたが、寬文年中に、淨土の高德祐天上人がその頃未だ一所化であつたが、飯沼から來つて本寺に足を留め、散心稱名彌陀本願の正意を說いたのに、衆庶隨喜して歸依するもの俄に多く、遂に寺運興隆の目覺ましきものを見るに至つたといはれる。文化年中の記錄には本堂六間半四面、庫裏七間半に六間半とある。本堂は現存のもの即ちそれであるが、庫裏は明治中年に改築されたものである。
寺寶としては、祐天上人の木彫似像がある。仁慈の相貌活ける高德を目のあたり見る感がある。