妙見八幡

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 相馬七妙見の隨一と擧げられる。本城址の突端妙見曲輪の名の遺る所がその元地である。天文三年西林寺四十一世海印の代に社殿を西林寺門内に移し、萬治年中豪歡代に又之を門外に移した。貞享四年歡海の時に更に古傳に據りて木像を刻み、更に本地藥師及十二神將を刻したと傳ふ。寶暦年中には相馬利胤より般若心經の寄進があつた。明治以後荒廢し本尊佛も西林寺客殿に移されたが、それも火災に亡滅した。