山王村大字岡に在り、前方後圓の雄大なる古墳である。土人は古く將門の墓と稱し、竹藪の茂るに任せ、一たび之に踏み入れば再び出ることが出來ぬと傳へたものである。廣瀨省一氏所藏古圖には
將門山とも佛嶋とも申、人出入堅不成
と記るされてある。
明治二十八年一たび一隅を發掘したが、その時には人骨、曲玉、直刀及多量の矢鏃を發見した。續いて昭和九年三月又岡堰工事の土砂採掘に當り他面を切崩したが、その時にも土偶、及圓筒埴輪を多く發見した。馬及家屋等の破片も發見された。比較的完全なる土偶三體は延命寺に保管されてある。