『守谷城と下総相馬氏』発刊のご挨拶

守谷市観光協会会長 作部屋義彦

 当会は、守谷市の二つの貴重な資産、自然資産である市街地隣接の大規模緑地と歴史資産である守谷城址の保全と利活用に深く関わっています。大規模緑地については、「守谷野鳥のみち」として木道のある自然歩道を整備し平成三十年の供用以来徐々に利用者が増加、いまや年間利用者が十万人を超えるに至っています。隣接の守谷城址は、永らく放置され荒れ果てた状態でしたが、令和二年前半に環境整理を行いました。
 雑木や笹藪を伐採するに従い土塁、大小曲輪、横矢掛、櫓台、大堀切、枡形曲輪、楯形曲輪、馬出曲輪、船着場が確かな姿を現し、精密な縄張に驚嘆しました。改めて史料を調べたところ、戦国時代、相馬氏二十代当主治胤が小田原北条氏との和睦の条件として守谷城を古河公方御座所に進上し、北条氏支配下で公方御座所に相応しい城郭として北条氏政の直々の号令の下に増改築された事がわかり、武田氏と並ぶ中世城郭づくり巧者の北条氏による増改築ならば、むべなるかなと改めて得心した次第です。
 築城時期を鎌倉期に比定し平将門につながる相馬氏の居城だったと云う歴史の縦軸だけではこの立派な中世城郭への展開の説明がつきません。当時、相馬要害と云われた素朴な城砦から、北条流築城術によって堅固な城郭に増改築された後、一部の破壊があるとはいえ「土の城」の良好な保存状態は奇跡であると言えます。
 此の度、我らが畏友川嶋建さんと石井國宏さんが、長年の相馬氏研究の決定版を取り纏められ、さらに戦国時代関東全域を巻込んだ北条氏の勢力拡張期の歴史の横軸を深く探求される過程で、守谷城が最も輝いた平地部拡張期の状況を深耕され、本書を上梓されることになったのは、守谷市民として誠に喜ばしいことです。
 とりわけ、静嘉堂文庫所蔵の「豊前氏古文書抄」から、御座所にしたい古河公方足利義氏が城山部だけでは手狭として拡張を求めた側近の豊前山城守への指示状と、これを受け自ら守谷城に出向き拡張など「普請等を堅固に申しつけ帰城」と公方に言上するよう要請した北条氏四代当主氏政の公方奏者への文書が発見されたことは、現在の守谷小学校前の大手門と城山部入口にあった清水門まで、城山部よりも広い平地部の拡張を裏付ける重要文書と見做されます。古絵図にも遺されているこの平地部は、城内地区として、後に守谷藩の初代から五代藩主の陣屋が置かれ、城下町として発展し、後の近代守谷の中心市街地の礎(いしずえ)となりました。
「この地なかりせば、今の守谷市の中心市街地は存在しなかった」。いつの時代になってもこの住みよいまち守谷の誇るべき父祖の地として未来に引き継がれるべき環境と歴史遺産であると考えられます。
 
 「歴史を大切にする」ことは、住みよいまちづくりの第一歩です。
今回、市制施行二十周年を記念して、本書を発刊し、守谷市の将門伝説、下総相馬氏の歴史、戦国期北関東地方の勢力拡張の状況、現在は隠滅しているが平地部を含めた当時の守谷城の姿などへの一層の理解を深められ、地域の誇りとして未来に引き継がれるようご提案申し上げたいと思います。さらに、今よりも壮大な守谷城の姿を広範囲の世代に深く身近な気持で理解して頂きたいため、当時の守谷城の姿を戦時ではなく平時のイメージをイラストで示し、説明を附した掲示板を市内各要所に建立するものであります。
 また、守谷城址の当時の姿を一層正確に、立体的な姿で後世に遺すために、木橋や高土居、障子堀などの復元も各方面に提案し、実現に向けて検討してみたいと考えています。