禅福寺と将門

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 臨済宗妙心寺派普門山禅福寺(ぜんぷくじ)(つくばみらい市筒戸)は筒戸城の二の丸を境内にした寺院で『禅福寺縁起』によれば、承平元年(九三一)平将門が創建し、本尊十一面観世音は、神亀(じんき)十五年(五年の誤りか?七二八)行基の御作、立像御長五尺二歩(約一五二cm)とあり(現在は焼失)、平親王将門の守り本尊と伝えています。また、「信田系図」では、千手妃の化身としています。同寺に伝わる「将門妙見掛け軸」は、承平五年(九三五)八月上旬頃、「将門と上総介良兼が蚕飼川(こかいがわ)で戦うに、将門既に矢種無く、彼の童子矢を拾い将門に与え、将門疲れたら、童子将門の弓を取り、十の矢を矯(は)げて射落す、一つも空矢なく、良兼これを見て只人(ただびと)に非ず、と云いて彼の陣を引き退く、将門、是何人にて免(まぬが)れるや、童子答えて曰く、吾是妙見なり」の場面を描いております。

十一面観音像(禅福寺本尊)


将門妙見掛け軸(禅福寺蔵)