相馬氏系図の整理

39 ~ 40 / 330ページ
 寛永十九年(一六四二)江戸幕府の命令によって、諸大名・御目見以上の諸氏の系図・略歴を編さんした『寛永諸家系図伝』を基本として、相馬家が各種編さんした系図類が、いくつか残されています。
 
 ・『尊卑分脈』 (桓武平氏千葉氏の項に、師常・義胤のみ掲載されています)
 ・『相馬系図』 (『続群書類従第六輯上系図部』に記載されている系図、元和三年(一六一七)以降の成立)
 ・『寛永諸家系図伝』 (江戸幕府の命令によって作られた系図、寛永二十年頃、相馬政胤(まさたね)の作カ)
 ・『相馬当家系図』 (広瀬晋一氏所蔵、寛永十七年(一六四〇)の記事あり、それ以降成立しました)
 ・『相馬之系図』 (奥州中村歓喜寺所蔵、寛永二十一年(一六四四)の奥書あり、下総相馬氏の内情に詳しい。略して『歓喜寺系図』)
 ・『相馬左近太夫・民部太夫系図』 『広瀬晋一氏所蔵、延宝八年(一六八〇)(作成、『相馬当家系図』を底本として簡略されていますが、胤永系は小田原藩士の胤純まで記載)
 ・『相馬当家系図』 (大阪市在住の小田原藩士の子孫相馬氏が所蔵、正徳四年(一七一四)の記事あり、それ以降の成立)
 ・『寛政重修諸家譜』 (文化九年(一八一二)江戸幕府により編さんされた系図、略して「寛政譜」、下総相馬氏は、相馬是胤これたねが原図を提出、奥州相馬氏は相馬祥胤よしたねが原図を提出しました)