西林寺の妙見尊

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 天台宗擁護山西林寺(ようごさんさいりんじ)守谷市本町が所蔵していたという妙見尊を拝観した十方庵敬順(じつぽうあんけいじゅん)はその著『遊歴雑記』に、こう記しています。
「同所二種の厨子に入りたる妙見尊は、将門の自作とて、住僧恭しく「般若心経」をよみて、外の厨子のみ明けて、中の厨子をひらく事なし。住僧のいえらく、むかしより妙見尊いひ伝へしかど、代々の住持も中の厨子をひらきて見ざれば、御正体は何なるかやしらす、開くに於いては目を潰すよしいひ伝ふと、依って中央の厨子を明けて妙見をおがましむ、是前だちなるべし、妙見尊の御丈一尺五寸余、極彩色の背に乗たる立像なり、これ将門の自作のといひ伝へて、これのみ開扉するといへり、彩色は折々仕直すよし、疑ふらくは将門の直作にあらざるべし。」
 江戸小日向の廓然寺(かくねんじ)のもと住職の大浄(だいじょう)敬順でさえ、妙見尊は秘仏ゆえ拝観できず、代々の西林寺のご住職さえ見たこと無いと徹底しています。