『源平闘諍録』・『千学集抜粋』・『妙見大縁起絵巻』などは、将門と良文は「染谷川の合戦」で共に戦っていますが、『将門記』に良文は一度も登場しないのに、「染谷川の合戦」に敢えて良文を登場させたのは、千葉氏が将門の後継者であることを主張するためです。
『大法師浄蔵伝(だいほつしじょうぞうでん)』(p.60)と千葉大系図では良文は朝廷の追討軍として参戦しております。
将門から離れた妙見菩薩は、伯父でありながら将門の養子となった良文に移り、それ以降、千葉氏が代々相伝するといいます。千葉氏の妙見信仰の起源は定かではありませんが「千葉妙見大縁起」によれば、大治二年(一一二七)から始まったとしています。