相馬御厨内の城館

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 相馬御厨内にある主な城館を所在地別に掲げます。奥州相馬氏の分立や南北朝の動乱などがあり、相馬氏の城館は思ったより少なく、南北朝時代の文和二年(一三五三)九月、千葉氏の第十六代当主千葉氏胤が御厨の雑掌について円城寺氏に下達しています(「千葉氏胤施行状写」/『鏑矢伊勢方記』)。相馬御厨は鎌倉末期から戦国時代になると、千葉一族の原氏や円城寺氏に、さらには小金の高城氏などの参入を許しています。相馬氏の御厨支配は事実上解体したようです。
城館名場所コメント
柴崎城我孫子市柴崎柴崎台地の中央に鎮座する柴崎神社は、将門以来相馬氏の守護神。
箕輪城柏市箕輪字城山手賀沼に面した城山にある。高城氏の小金城の支城。
泉妙見山城柏市泉字中城隣接する妙見社に土塁・空堀跡がある。奥州相馬氏の岡田胤康の所領。
手賀城柏市手賀字下ノ坊当城主は、原氏と推定される。上杉謙信の臼井城攻めに抗した手賀城主原筑前守。
藤ガ谷城柏市藤ガ谷舌状台地上にあり、遺構は破壊された。相馬師常が一時居住していたという。
増尾城柏市増尾増尾のほか、薩摩(さつま)・粟野(あわの)(鎌ヶ谷市)など、奥州相馬氏の相馬重胤が支配していた。
根戸城我孫子市根戸手賀沼を望む台地先端部にあり、高城氏・相馬氏が覇を争っていました。