守谷城の現在地は茨城県守谷市本町(ほんちょう)で、常陸国と下総国の国境である小貝川南端の低湿地に突き出した、舌状台地に築かれた直線連郭式の平山城です。周囲水田面から比高約十八・五メートルで、現在も三方を低湿地で囲まれており、往時は内海や鬼怒川と小貝川が合流した川の入江が入り込み満々と水を湛えていたといわれています。
当城は、「城山地区」とその根元部分に当たる清水門跡から大手門跡までの「城内地区」に分けられ、「城山地区」は細長い舌状台地を何本かの空堀・土塁で区切り、直線的に腰曲輪や帯曲輪を配する構造で「御馬家台」・「平ノ台(二の曲輪)・「本曲輪」・「妙見曲輪」などが直線連郭式に配されています。近くの臨済宗妙心寺派大雄山海禅寺(だいゆうざんかいぜんじ)(守谷市高野)には歴代城主の墓地が在ります。