虎朱印

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北条氏は内紛やお家騒動が皆無でした。一族と家臣団を重んじ結束を固め、領民を大事にして善政を敷いてきたことは史実が示しています。代々の当主は家訓である「早雲寺殿廿一箇条」や、「氏綱公御書置」を大切に守ってきました。特に氏綱の五か条からなる御書置きは「義を重んじ・家臣領民を慈しむ・己の分限を守り・倹約し・勝って甲(かぶと)の緒(お)をしめよ」と具体的に深く現在でも知られています。
 それを端的に表しているのが「虎朱印」です。7.5cmの方形で「祿壽應穩(ろくじゅおうおん)」の文字の上に虎が蹲(うずくま)っている印。初見は永正十五年(一五一八)、氏綱から氏康・氏政・氏直と当主が発給する公文書に使用されました。禄「財産」と寿「生命」が応「まさ」に穏やかであるように。人々が平和で暮らすという願いが込められていると言われます。

虎朱印

 永禄三年(一五六〇)、足利学校の第七代庠主(しゅうしゅ)(校長)玉崗瑞璵(ぎょくこうずいよ)(号九華(きゅうか))が二十九年間在籍して故郷の大隅(鹿児島県)に帰る途中、小田原の北条方へ立ち寄り易を講じ暇乞いしました。氏康・氏政父子は九華の帰国を惜しみ、その引き留めとして国宝『文選(もんぜん)』(中国春秋時代から梁まで千年間の詩文集、六〇巻二十一冊)を寄進します。同書の巻末には「永禄三年六月七日、学校寄進、平氏政朝臣」の署名と虎朱印が捺印されています。九華は足利へ戻りました。

国宝『文選』氏政の署名と虎朱印虎朱印
(史跡足利学校事務所蔵)

 氏政は謙信や信玄との戦(いくさ)を戦い抜いて、さらに優れた民政と様々な文化政策を行っています。これらの事から近年の研究では名将であったと再評価されています。