元亨元年(一三二一)十月、惣領家の六代五郎左衛門尉師胤の所領1/3が没収時、師胤の奥州の所領を没収のため、幕府の御使岩城(いわき)二郎と結城(ゆうき)宗廣が現地へ派遣されましたが、孫五郎重胤の所領も没収されそうになり(「相馬重胤申状案」)、この北条得宗家の専横に対処するため、彦次郎師胤の嫡子奥州相馬氏初代重胤は奥州へ移住します。その時期は、元亭元年十月から翌年の七月とされています。
ここで、次ページに系図でもって下総相馬氏と奥州相馬氏を整理します。この時期、二人の師胤が居り混乱します。奥州相馬氏が、近世に発刊した著作物が何冊かありますが、「一族」が纏まって移住したように書かれています。