十代相馬胤宗(たねむね)(生没年不詳)

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 胤宗は胤長の嫡子と思われ、『寛政譜』に官途名は左衛門尉、『相馬当家系図』に下総守、通称相馬小次郎、法名茂林、八十三。また、海禅寺(守谷市高野)の「中世相馬氏の位牌」の冒頭に、「茂林秀公禅定門」とあり、法名を裏付けます。行年八十三。
 
「中世相馬氏の位牌」
 裏面に、嘉永四(一八五一)辛亥年二月再建立とありますが、もとの位牌は、海禅寺の過去帳にある信胤の正室の没年享保十五年(一七二九)九月十九日以降の建立です。嘉永四年再建立之より、「旗本相馬氏の位牌』(P.199参照)と同年の再建から、幕末、最後の旗本である相馬祚胤の再建です。祚胤は守谷市の海禅寺を位牌作成のため、わざわざ江戸から参詣したのでしょう。

中世相馬氏の位牌(海禅寺蔵)

 茂林秀公禅定門(胤宗) 月渓心公禅定門(資胤)
 在林哲公禅定門(胤儀) 幸山(胤高)
 正安(胤實)      寶珠庵(徳誕) 天桂(胤廣)
 華桂(胤貞)      玉宗(胤晴)  實山常真(整胤)
 了山悟公大居士(治胤) 春山華公大禅定門(秀胤)
 中岩箭公居士(胤信)  説渓宗宣庵主(治胤三男?)
先祖代々一切精霊
 桃林院殿芳菴妙英大禅定尼(治胤の正妻?)
 渓月慈光信女
 久照院殿明室貞艦大姉
 壽泉院殿清岸妙涌大姉
 松岳院殿雪貞妙幹大姉(信胤の正室)
 貞聴妙倫信女
 
裏面 嘉永四辛亥年二月再建之
寸法 高さ四二〇×巾二五〇×台奥行七cm
 (但し『寛政譜』によると、資胤の号は月柱、胤貞の号は花柱)