「中世相馬氏の位牌」
裏面に、嘉永四(一八五一)辛亥年二月再建立とありますが、もとの位牌は、海禅寺の過去帳にある信胤の正室の没年享保十五年(一七二九)九月十九日以降の建立です。嘉永四年再建立之より、「旗本相馬氏の位牌』(P.199参照)と同年の再建から、幕末、最後の旗本である相馬祚胤の再建です。祚胤は守谷市の海禅寺を位牌作成のため、わざわざ江戸から参詣したのでしょう。
中世相馬氏の位牌(海禅寺蔵)
茂林秀公禅定門(胤宗) 月渓心公禅定門(資胤)
在林哲公禅定門(胤儀) 幸山(胤高)
正安(胤實) 寶珠庵(徳誕) 天桂(胤廣)
華桂(胤貞) 玉宗(胤晴) 實山常真(整胤)
了山悟公大居士(治胤) 春山華公大禅定門(秀胤)
中岩箭公居士(胤信) 説渓宗宣庵主(治胤三男?)
先祖代々一切精霊
桃林院殿芳菴妙英大禅定尼(治胤の正妻?)
渓月慈光信女
久照院殿明室貞艦大姉
壽泉院殿清岸妙涌大姉
松岳院殿雪貞妙幹大姉(信胤の正室)
貞聴妙倫信女
裏面 嘉永四辛亥年二月再建之
寸法 高さ四二〇×巾二五〇×台奥行七cm
(但し『寛政譜』によると、資胤の号は月柱、胤貞の号は花柱)