胤高の嫡子と思われ、官途名は左衛門尉・弾正忠、通称相馬小次郎、号正安。
『一言主神社由来』によりますと、「長禄三年(一四五九)、当国の守谷城主相馬弾正胤廣候が、篤くこの神を崇信し、社殿を再建しました。」とあります。胤廣は第十六代胤廣を指していると思いますが、胤廣は大永五年(一五二五)に家を継いでいますので時代が合いません。むしろ、弾正忠を名乗っている胤實ではないかと推察いたします。但し、この説には大きな欠点があります。胤實の先代の胤高は、永正八年(一五一一)に亡くなっています。時代を採るか、実名を採るか、はたまた、通称を採るかで、本当の事は不明というほか無いです。