江戸図と相馬屋敷

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 幕府が旗本へ江戸府内に屋敷を与えるようになったのは、「番方」に対して与えたのが始まりで、『増補武江年表』文禄元年(一五九二)項に、「御城の西北の地、大番衆宅地を給わる、六組に分かちて、是より、番町といふ」とあります。
相馬屋敷が記載されている江戸絵図の一部
刊行年地図名所在地記載名当主の名前
正保元年(一六四四)正保年間御江戸絵図赤坂御門外相馬小平次貞胤
寛文十年(一六七〇)寛文江戸図相馬小二郎要胤
元禄二年(一六八九)江戸図鑑サウマ
元禄六年(一六九三)江戸図正方鑑サウマ信胤
享保十一年・十二年御内府沿革図書四谷大木戸相馬小源太保胤
(一七一六・二七)
安永二年(一七七三)御内府沿革図書相馬左近矩胤
天保十四年(一八四三)懐宝御江戸絵図将枝(没後)将枝
嘉永四年(一八五一)江戸切絵図牛込相馬左門祚胤
安政六年(一八五九)相馬左エ門
安政六年(一八五九)分間江戸大絵図サウマ


元禄6年(1963)江戸図正方鑑
(出典:古地図史料出版株式会社)


天保14年(1843)懐宝御江戸絵図
(出典:株式会社人文社)

 相馬氏が大番に就くのは、政胤からです。旗本が屋敷を拝領するようになったのは、寛永の始め頃から盛んになったようで、確かなのは、政胤の次の貞胤以降です。
 江戸図の始まりは、慶長十三年(一六〇八)の「慶長江戸絵図全」といわれ、次に寛永九年(一六三二)当時のものとされる「武州豊嶋郡江戸庄図(寛永図)」は、最古の江戸都市図として著名です。江戸図において相馬屋敷の初見は、正保元年(一六四四)の『正保年間御江戸絵図』です。その絵図に「相馬小平次」とあり、小次郎貞胤に比定されます。