蒼龍山(そうりゅうざん)松源寺は、臨済宗妙心寺派で、『江戸名所図会』」にも掲載されるほど有名な名刹で、当寺の由緒によると、始め江戸麹町四番町に創建され、慶長十八年(一六一三)に牛込通寺町に移転し、さらに明治三十九年(一九〇六)に現住所の中野区へ移転しています。
同寺は、牛込通寺町から、現在地へ移る際、相馬家の子孫を探しましたが見つからず、現在、無縁仏として「松源寺檀徒永代供養塔」に葬られています。
最後の旗本相馬祚胤は、徳川慶喜(よしのぶ)に随い静岡へ、明治五年(一八七二)当時、浜松県へ移住しています(『東京都公文書館所蔵公文書』)。見つからない筈です。
供養塔の墓誌に、相馬家を代表として、もと一橋家の家臣だった相馬胤富(たねとみ)の名が刻まれていました。相馬胤富は彰義隊に参加しましたが(当時の名は鉦吉(じょうきち))、戦いを生き延びて、明治十八年(一八八五)、谷中霊園の徳川家墓所に、旧一橋家ゆかりの仲間と共に石燈籠を寄進しています。
松源寺(東京都中野区上高田)