第十一代相馬敏胤(としたね)(?~一八一〇)

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 左京、小太郎、母は中村忠左衛門利恭が女、妻は長野善三郎業盛が女(『寛政譜』)。
 文化元年(一八〇四)刊行の『懐中道しるべ』(田原藩士塩沢忠敏著)に、「相馬小太郎、禄高八百石、屋敷四谷大木戸」とあるので、敏胤に比定できます。父是胤の遺跡をそのまま継いだようです。文化七年(一八一〇)五月十三日没す(P.199「海禅寺位牌」参照)。
この敏胤の生きた時代は、幕政を混乱させた文恭院(ぶんきょういん)殿(十一代将軍徳川家斉(いえなり))の時代です。