第十二代相馬繋胤(つなたね)(?~一八一九)

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 『寛政譜』に記載されております処の敏胤の嫡子である某小源太と思いますが詳細不明、母は長野善三郎業盛が女(敏胤の妻)。
海禅寺の位牌でのみ繋胤の名が確認できます。文政二年(一八一九)六月二十四日に没しています。
 相馬家の家例が『耳袋』に続いて、文化十二年(一八一五)執筆の十方庵敬順(けいじゅん)著『遊歴雑記』にも紹介されています。