*この系図は、小田原藩士胤純までしか記載されておらず、比較的新しい系図です。
一、家紋繋馬、葦毛ノ馬土岐ノ矢之ヲ鎌、相馬名字相続之者、妙見菩薩之ヲ信仰ス、
延宝八申壬(一六八二)八月吉辰、
●「相馬家来之者頭(かしら)為ル者斗(ばかり)」
浮嶋太夫 佐津嶋兵衛 村岡五郎 岡部弥次郎
高見左衛門 千原大夫 菅生越前守
筒戸小四郎 岩堀主馬首 大木駿河守 新木三河守 横瀬伊勢守
横瀬弾正忠 佐賀掃部助 佐賀美濃守 佐賀筑後守 寺田弾正左衛門
寺田出雲守 横瀬源太左衛門 松井主税助 本屋長門守 鮎川筑後守
安富齊 遊座左京允 泉勝坊
*この系図は延宝八年(一六六二)に作成された系図で、「相馬家来の重臣」は③大坂市在住の相馬氏のものを模写したと思われます。系図は胤将が作成したといわれますが、P.205の「相馬則胤覚書」の胤勝が作成に関与しています。