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第七章 小田原藩士となった下総相馬氏
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三、小田原藩の相馬氏当主
三代相馬胤貞(たねさだ)(?~一七〇三)
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生国は豆州韮山で韮山代官の江川太郎左衛門英利の三男で仮名は浅右衛門・澤右衛門、相馬家の養嫡子になって七左衛門尉と称しました。母は大久保右京亮教隆(のりたか)の娘で、小田原藩三代藩主大久保忠朝の姉妹に当ります。胤貞は、忠朝・忠増(ただます)と二代の藩主に仕え、元禄十六年(一七〇三)四月五日に没しました。墓は同じく常光寺にあり、胤将と向かい合っています。墓石は笠付方柱型で、戒名は「覺了院本然自性居士」、俗名相馬七左衛門尉胤貞、孝子相馬豊之助(胤祥)が建立しました。なお、相馬家の両墓碑とも、三乗寺(さんじょうじ)から転寺しております。
相馬胤貞の墓(小田原市板橋 常光寺)
墓石正面
墓石裏面