在任期間 慶長二年(一五九七)~元和(げんな)三年(一六一七) 二十年間
父定政の死去に伴い、遺領を継ぎます。慶長十七年(一六一二)「大番頭」に就任、元和三年一万石加増され、計二万石にて摂津国高槻城(高槻市城内)へ転封となります。元和五年(一六一九)高槻にて没しています。守谷在位期間は二十年間と長く、この間は、徳川幕府の体制作りの期間にあたり、定義は東奔西走してあまり領知の面倒を見られなかったのでしょうか、僅かに事績として、慶長三年(一五九八)、八坂神社を高野村本宿(ほんじゅく)から現在地の本町へ遷座し、社殿を造営したといわれています。
・天領 代官支配(岡登甚右衛門・浅井八右衛門)在任期間 元和三年(一六一七)~元和五年(一六一九) 二年間