⑤高田與清(ともきよ)

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 国学者で歌人、清水濱臣と取手の沢近嶺(ちかね)と合わせ、「錦門の三傑」と呼ばれています。『相馬日記』は、文化十四年(一八一七)八月十七日から二十八日までの、相馬地方の旅日記です。

相馬偽都旧跡の図
(『相馬日記』高田與清 挿絵 鍬形蕙齋)
奈良女子大学学術情報センター所蔵

  「守谷野は、いとひろき野にて、目も遥かに見かすばかりなり。これ相馬の偽都(いつわりのみやこ)のかまえの内にて、もののふ(武夫)らがいむかい(射向かい)し跡なりといへり、平の台といふは、いとたかき岡にて、ここぞ将門がすみし所なる、また、めくるめくばかりの深きほりきをわたりて、八幡郭にうつる。(中略)がうしうが原といへるは、田中の離島にて、たてぬきに上道一里あまりの広野也、むかし淡海のめぐれる時は、えもいわぬけしきの島なりけんとぞおもひやらるる、今この野中をがうしう海道(郷州街道)とよべり。」
 
  たつ波の 風にあれけむ 辛島(からしま)の 広江はあせて おともきこえず