⑥十方庵敬(じっぽうあんけいじゅん)

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 順著者は、江戸の住職で、俳号は以風、隠居後は江戸を中心に、関東・東海地方まで及ぶ見聞紀行を『遊歴雑記』に著しました。文政三年(一八二〇)三月十三日守谷に来訪し、大庄屋斎藤徳左衛門家を訪れますが主は上方へ出かけ留守。しかし母娘の歓待をうけて宿泊、守谷城址と西林寺を訪問し翌日、筑波山へ旅立ちました。
  「此の処より段々と爪先あがりに、高く数十歩にして、火急に高に登る。是むかし本丸の跡とかや、今は此処を比羅台と称す一体は平台と書きて、平親王の居処といふを標せるものとぞ、(中略)崖際に葦原に蹲踞(そんきょ)しつつ、摺火打(すりびうち)にたばこ吸いながら、鄙(ひな)の景色をたのしむ、亦一興なりき。」
 
  承平の むかしもかくや 舞ひばり  以風