「海禅寺縁起箱」
書き下し文
下総国相馬郡大雄山海禅寺は朱雀院の承平元年、平将門が創建する所なり。地藏を以って本尊となす。伝承するに聖武天皇の神龜十五年、大僧正行基の手作する所なり。寺僧曰く将門かって妙見菩薩を崇め、故にその冥助を得て伯父常陸大掾國香を撃ち克ち遂に關東八州を領し相馬郡に居す。以って新京を立て自から平新皇と稱し百官を置き逆謀し増長暴慢殊に甚だし、是を以って神明の守り無く、佛力の助け無くして天慶三年正月二十二日に至りて平貞盛藤秀郷により誅戮せられおわんぬ。その氏族で存する者は将門を此寺にて於いて祭り以って鎮守となす、妙見菩薩を安置し、且つその季女ならびに従卒七人、七騎武者と號すを祭り而して稲荷明神、日吉七社、辨才天女を以て
現代文
下総国相馬郡大雄山海禅寺は朱雀(すざく)天皇の承
平元年(九三一)平将門により創建された。
地藏を本尊とし、聖武天皇の神龜(じんきママ)十五年(七二八)に大僧正行基の手作りと伝えている。
寺僧は将門がかって妙見菩薩を崇あがめていたと云う。故(ゆえ)に神仏の加護により伯父常陸大掾(だいじょう)國香を討ち勝って、遂に關東八州を領し、相馬郡に居住して新京を立て、自から平新皇と称して百官を置いた。逆謀(ぎゃくぼう)(謀反の企み)し増長し暴慢が殊更(ことさら)に甚(はなは)だしく、以て神明の守りを失い佛力の助けを無くした。而(しか)して天慶(てんぎょう)三年(九四〇)正月二十二日に平貞盛、藤原秀郷によって誅戮(ちゅうりく)されてしまった。その氏族はこの寺で将門を祭り鎮守としている。妙見菩薩を安置して、且つその季女(きじょ)(末娘)ならびに従卒七人、七騎武者と號する者を祭っている。稲荷明神、日吉七社、辨才天女を以て
書き下し文
守護の鎮めとなす。爾来、相馬一家は世世この寺をもって冥福の所となす。その後禪僧梅運和尚は此に住し、始めて濟家の徒となす、三徑西堂に至り、始めて寺領の官印を請得し、以って永く通例となす。天正十二年鐵岫和尚、諸檀那を勧請し再興の事成れり云云。頃歳、先考従四品侍従兼加賀守堀田正盛佐倉城主たりし時、此の寺も亦領内に屬す、其の為古跡を以って官印の前例を有すを聞く、故に慶安二年八月二十四日其の趣を啓達、大猷院殿の御朱印を辱なく賜る、以って寺僧に授けて他後の不朽之證となすは大幸と謂うべき也。想うらく将門は古来、朝敵の最たる也、然るに今に至る七百餘年の際、舊跡猶祭祀絶えざるは、猶軍中に蚩尤を祭り、鄭人は伯を立てこれ有るは後の類かな、且つ本朝も亦、悪神を祭り、逆臣の祠を立つるの例、これ無きにしも非ず、蓋し其の霊を慰むるなり、然れば此の寺の存するも亦怪しからざるか
現代文
守護の鎮めとしている。以来相馬一家は代々この寺にて冥福を祈っている。その後、禪僧梅運和尚がここに住んで、住民たちを濟家(ざいけ)の徒(禅宗の信者)とし、三徑西堂に至り始めて寺領の官印を得るに至る。天正十二年(一五八四)鐵岫(てつしゅう)和尚は諸檀那(だんな)に再興の事成ったと云云(うんぬん)。頃歳(けいさい)(近年)、先考(せんこう)(亡父)従四品侍従(じゅしほんじじゅう)兼加賀守堀田正盛は佐倉城主の時、この寺が領内にあり、その古跡を以て官印の前例があると聞き、故に慶安二年(一六四九)八月二十四日にその趣(おもむき)を啓達(けいたつ)(文書で申し上げる)した。大猷院(たいゆういん)殿(将軍家光)の御朱印を辱(かたじけ)なくも賜り、以って寺僧に授けた。後(のち)に不朽の證として大なる幸と謂う可(べき)である。想へば将門は古来朝敵の最なり。しかしながら、いまに至る七百餘年の舊跡なお祭祀さいしが絶えないのは、軍中に蚩尤(しゆう)(中国神話の黄帝と戦った軍神)を祭り鄭(てい)(中国春秋戦国時代の国・蚩尤の子孫)の人は伯を立てるの類(たぐい)がある。本朝はまた悪神を祭り逆臣の祠(ほこら)を立てるの例(ためし)これ無きにしも非(あら)ず、けだしその霊を慰めるなり。然(しか)れば、この寺あるを怪(あやし)むべきにあらず。
書き下し文
其の人の正邪姑舎。是唯、其の陳跡の不滅なるは、奇なりと謂うべき也。先考没後、其の所領分配て、此の寺は余の采邑の内に在り、寛文四年甲辰、余辱く賜り、官暇休の采邑に、寺僧語る所、件件旧縁起を呈し、其の始末を請け記し、以って将来に傅う、余も亦舊跡の久しく存するを感ず、且つ不忘先考の由有るを聊か其の大概を記し、以って之を寄贈す。
寛文四年甲辰之秋
従五品備中守堀田正俊
平将門御影一尺五寸以て七百歳余に到る、謹んでこれを拝し奉り、依って縁起寄贈を以って不朽の證となす。 祝
現代文
それ人の正邪は姑舎(しばらく置いて)、これ唯その陳跡(ちんせき)(昔の事跡)の不滅は奇なりと謂いべし。亡き父が没した後、その所領を分けられて、この寺は余の領地になる。寛文四年(一六六四)甲辰(こうしん)、余辱(かたじけ)なくも休暇を賜わり、領内の寺僧の語る所、件件(けんけん)(あの事この事)と舊き縁起(えんぎ)を呈し、その始末(しまつ)(いきさつ)を請け記して、以って将来に傅える。余はまた舊跡が久しく在ると感じ、且(かつ)亡き父の由(ゆい)(わけ・由緒)が有ることを忘れず聊(いささ)かその大概(たいがい)(おおよそ)を記して以って之を寄贈する。
寛文四年甲辰の秋
従五品(じゅごほん)備中守堀田正俊
平将門御影一尺五寸以て七百歳余に到る。
謹んでこれを拝し奉り、依って縁起寄贈を以って不朽の證とする。 祝