⑦ 朝鮮通信使の扁額(清瀧寺蔵)

306 ~ 307 / 330ページ

 

金有声(キムユスン)(号西巖)は、明和元年(一七六四)第九代将軍家治の襲職(しゅうしょく)祝賀のため来日した、第十一回朝鮮通信使の画員(がいん)(怜員(れいいん))です。
 扁額のサインが少し変わっていて、「朝鮮国(西巖印)」の右側に「西岩」と追記したようにサインしています。仮に贋作なら作り直す筈ですので、これは、本物と信じたいですね。

「西巌のサイン」タテ六一×ヨコ九六cm
 西岩
朝鮮国(西巌印)

朝鮮通信使の江戸の宿舎(浅草東本願寺)には、幕閣を始め儒者・僧侶らが紙と硯と墨をもって、毎日のように押しかけて来たといいます。
 
 清瀧寺のご住職も、本寺の寛永寺のコネを使って金有声と接触出来たと思います。
 
 金有声は、超多忙な人気者で、往きの宿舎清見寺(静岡市清水区)の住職から、紙を渡され、洛山寺の絵を所望されています。金有声は六枚の絵を描き、帰路、清見寺に立ち寄り贈呈しました。
 また、日本有数の画家池大雅(いけのたいが)は、富士山の描き方を学んでいます。
 
 金有声の作品は朝鮮本国でもあまり遺されてなく、日本では次の四点が知られています。
 日本所蔵の四点
①「山水花鳥図押絵貼屏風」
            ・・清見寺(静岡市清水区)
               静岡県指定文化財(絵画)
②「李賀(りが)騎馬図」・・建仁寺両足院(京都市)
③「滝山水・寿老人図」 ・・建仁寺両足院(京都市)
④「山水図」・・個人蔵
 
 朝鮮国所蔵の二点
①「雲龍図」      ・・順天第一大学校博物館
              (全羅南道順天市)
②「山水図」      ・・高麗大学校博物館(ソウル市)
 
通信使についてはP.311をご参照下さい。