1985年(昭和60年)は,常磐自動車道柏~三郷間開通,北守谷団地及びパークシティ守谷の竣工,乙子高野地区開発についての県との協議開始,都市計画道路取手西口北守谷線(現ふれあい道路)の一部開通,運輸政策審議会における常磐新線敷設決定など,大きな変換の年であった。
この年策定された第二次守谷町振興計画では,守谷東地区,駅周辺地区,乙子高野地区の開発を推進していくことと合わせ,常磐新線の推進が初めて明文化された。
住都公団による南守谷団地開発は,1987年(昭和62年)に初回の宅地分譲が始まり,翌年には町名・地番が松ケ丘・けやき台へ変更し,「常総ニュータウン南守谷」としてけやき台公園で竣工式が開催された。この年の分譲地競争率は平均83.4倍となり,1年間の町の人口伸び率は8.22%と県内でトップとなった。
また,三井不動産(株)による乙子高野地区の宅地開発は,1986年(昭和61年)から用地取得を開始,翌年には乙子高野土地区画整理事業の組合設立準備委員会が発足。以後,地権者への全体説明会,区画整理勉強会等を重ね,1993年(平成5年)5月に都市計画決定,造成工事に着手した。1995年(平成7年)には街の名前が美園に決定し,一部入居が開始された(平成11年竣工)。
大野地区への工業団地造成事業については,住都公団を事業主とすることで決定していたが,1986年(昭和61年)に住都公団から事業辞退の申し出があり,一度は大手建設会社等参加の組合土地区画整理事業としたものの,地権者や立地予定企業の意向により,1987年(昭和62年)に町施行の土地区画整理事業とすることに決定。翌年,事業区域の市街化区域編入及び土地区画整理事業の都市計画決定を経て,11月に起工式を開催。1992年(平成4年)に団地内を縦断する都市計画道路北園野木崎線が開通し,1993年(平成5年)にもりや工業団地が竣工した(当時の立地企業13社)。
また,昭和60年代は常磐新線(現つくばエクスプレス)建設計画が,その沿線開発計画とともに具体化していった時期でもあった。
町では,昭和62年度予算で初めて常磐新線促進事業費を計上し,1988年(昭和63年)に常磐新線対策基金を創設したほか,新線用地を一体型土地区画整理事業として確保しつつ,守谷東地区を駅前と連動した土地区画整理事業として推進していく方針を決定。同年,施行区域と市街化区域編入,用途地域指定について都市計画決定し,県から守谷東特定土地区画整理事業として事業認可され,町で初めての地権者構成の組合が設立されることとなった。
常磐新線整備については,1991年(平成3年)に守谷町常磐新線連絡協議会を組織し,本格的な推進活動を開始するとともに,守谷駅周辺整備を進めるため,地元説明会や守谷駅前相談所などで整備計画内容の説明や意向聴取を行った。
このような中,1991年(平成3年)に事業主体の首都圏新都市鉄道株式会社(新線会社)が設立され,翌年1月に鉄道事業免許を取得,1994年(平成6年)には守谷~谷和原間の工事施工が認可され,秋葉原で常磐新線建設起工式が開催された。