大型宅地開発及び都市基盤整備を進めてきた結果,町の人口は順調に伸び続けた。常磐新線新駅設置の決定と工事の開始は更なる人口増加を促し,1998年(平成10年)には市制施行準備協議会及び市制施行準備委員会が設置されたが,その後人口増加傾向が鈍化し,市制施行準備は翌年一旦凍結された。しかし,2000年(平成12年)の国勢調査で市制要件人口5万人の達成が確実となったため,同年6月に市制施行準備協議会及び市制施行準備検討委員会を再度設置して市制準備を開始。地元説明会や広報紙による周知後,全戸アンケート調査を実施した結果,市制施行に83.2%の賛同を得て,協議会は施行目標日を「2002年2月2日」及び新市名を「守谷市」として町長に答申。2002年(平成14年)2月2日,県内22番目の市として守谷市が誕生した。
翌年,水海道市,伊奈町,谷和原村から常総広域圏内市町村の合併について申し入れがあったため,全世帯対象に市民意向調査を実施。すぐには必要ないという結果を踏まえ,市単独での独自のまちづくりを推進していくことを決定した。
一方,常磐新線工事は1995年(平成7年)7月,谷和原村筒戸で県内初の工事となる車両基地(守谷車庫)の工事着工。町には当初,全線地下方式を要望する意見が多かったが,建設期間の長期化,コストの増大などの理由から高架方式計画での工事着手となった。その後は,1996年(平成8年)の新線会社の一方的な整備計画見直し決定(開業時期の5年延期及び事業費増嵩)という曲折を経ながらも,1997年(平成9年)小貝川橋梁工事が始まり,都市軸道路(小貝川右岸~谷和原村筒戸),大柏高架橋及び土塔高架橋工事,守谷トンネル下り線,守谷駅舎と,町内工事は順次着工。
こうして,2005年(平成17年)8月24日,つくばエクスプレス(平成13年名称決定)が開業。守谷駅で開駅式,1番列車発車式が開催されたほか,都市軸道路(守谷トンネル下り線)や西口自転車駐車場の供用も開始され,西口広場では2日間にわたる開業記念イベントを開催。市内バスルートもすべて守谷駅起点に修正された。
また,新線整備と合わせ一体的に整備を進めてきた守谷東特定土地区画整理事業は,新線ルート決定の遅れとバブル経済崩壊による地価下落が重なり,事業費が増大。事業進捗も大幅に遅れることとなった(平成19年事業完了)
一方,駅周辺地区については,区画整理事業により道路などの都市基盤整備を進めつつ,守谷の顔となる地区を景観形成重点地区と定め,調和のとれた駅前空間の形成を図りながら商業街区として駅前を一体的に利用できるよう,関係地権者との協議を重ねたが合意取付けは難航。この結果,駅ビル等要望の多かった施設の整備は果たせなかったが,2009年(平成20年)東口駅前に「賑わい創出事業」として商業医療複合施設「アワーズもりや」がオープンした。
このように,当市は高度成長期以降,都心から約40km圏内という立地条件を活かし,優良企業の誘致活動や大型宅地開発を推進するとともに都市基盤整備を進めてきた結果,町誕生当時1万2千人だった人口は2009年(平成21年)には6万人を突破した。今後は,市民が真に住み良さを実感できるまちとするため,都市機能と自然との調和,市民との協働によるまちづくりへの取組み等を進めることとしている。