■守谷市のこれまでのまちづくりと今後の展開について

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司会  それでは最後に,合併からこれまでのまちづくりに携わったご感想や,守谷の今後を考えて何かご意見などあれば,お聞かせください。まず最初に,石﨑さんからお願いしてよろしいでしょうか。

 

石﨑  守谷は,本当に珍しい事例だと思います。やはり,住民の資質,レベル,そして行政のレベルも大きな要素だったと思います。全国の市町村を見ても,守谷のような事例は滅多にないと思います。

 

    これまで色々述べてきましたように,東京から筑波へという壮大な開発のポテンシャルのおかげで守谷は首尾よく浮上し,その後は公団や三井を受け入れ,巧みにまちづくりの舵取りを行って輝かしい成果を残されました。

    おかげさまで私たち三井も,一度はあきらめたものが生き返ったという感じで,みずき野団地は,会田町長から大和田町長へと受け継がれたまちづくり方針と,行政の皆さんや関係機関の皆さん,そして地元地権者の皆様のご協力とお力添えがあったからできたことだと思います。私は三井をやめた人間ですが,何よりも住んでくださった方をはじめ,地元の皆様が喜んでくれることが嬉しいですし,携わった者として安堵し,願いがかなったという気持ちです。

 

    私事ですが,私は社内でも異例の長期間,守谷の開発を担当したのですが,寝食を欠かしても気にならない程,この仕事に没頭していました。なぜだろうと後になって考えたところ,会社のためというのは当然のことですが,それよりもむしろ首長はじめ行政の皆さんの献身と努力の熱気に私が燃焼させられていたのだという気がしています。

 

    そんな守谷での日々の中,忘れ難い思い出は数え切れないほどありますが,最後に一つ語らせていただきたいのは,町が工業団地を整備されて,優良企業を誘致されていたころの出来事です。

    ある日,私は大和田町長に呼ばれまして,「アサヒビールが来たいと言っている。近いうちに経営幹部が来るので同席するように。」とお誘いを受けました。当日,私は部外者ですからどうしたものかと末席におりましたら,「アサヒさん,町は下水道を,前町長が大変な決断をして三井と苦労して作ったのですよ。これで貴社は安心して操業できるのですよ。」と紹介してくださって,大和田町長の深いご配慮に感動いたしたことは忘れられません。

 

    改めて,故人となられた方も含めた関係者の皆さまに対して,心から敬意を表し,厚く御礼を申し上げたいと思います。

 

    併せて,何もできませんが,今後の守谷についても気になっております。今後どうしていく,ということは大きな問題です。他自治体との競争もありますし。ただ,圧倒的に有利な点は,やはり首都圏でもハイレベルなつくばエクスプレスの存在です。お客さんもハイレベルで,突き当たりには筑波大があるし,これから本郷から東大理科系が柏に集まります。そういった学校教育関係ができてきて,沿線の学校のレベルが非常に上がってきているとも聞いています。これらはすべて筑波から派生した県南地域全体の開発の流れにあり,この恵まれた環境を生かしたのも,市民の皆さんや行政の皆さんであったことは事実です。

 

    今後も新線を見ながら,後輩の皆さんに,他自治体に負けないまちづくりを頑張ってほしいと思います。市民の皆さんに対して,みんなでまちづくりをしていきましょうとおっしゃっていけば良いと思いますね。

 

    誠に僭越ではございますが,こういった座談会に参加させていただいて,感謝申し上げます。有難うございました。

 

司会  有難うございました。では次に鮎川さん,お願いいたします。

 

鮎川  昭和30年の1町3か村合併当時,取手町,水海道市は開発が進み,人口が増えていました。一方,守谷は人口も少なくなっており,農業が主体で一体どうなるのかと思っていました。取手と水海道に挟まれて,そこを追い越すにはどうしたら良いかと考えたものですが,幸いにして高速道路,あるいは鉄道が通ったりして環境が非常に良くなりました。

    今まで何回も皆さんが言っていますが,これも町民の方,市民の方が協力してくれたおかげです。

    また,高橋さんが言うようにこれまでの首長である会田さん,大和田さんの見る目があって,また職員の教育も良く,スムーズに発展に移行してきたのだと思います。

    これからも石﨑さんがおっしゃるように,職員はもちろん市民の方も一緒になって協力しながら,守谷がなお一層発展していければと思います。有難うございました。

 

司会  有難うございました。では高坂さん,お願いします。

 

高坂  明治22年,取手や水海道,柏がまだ村だったころ,守谷には銚子に抜ける裏関道(旧銚子街道,旧市街地の南北の街路)が通っており,江戸時代初期に城下町として繁栄していた経緯もあって,町になりました。

    しかし実際は,守谷が町ならタニシも魚などと言われ,私もそう言われて悔しい思いをしましたが,実際のところ,水海道や岩井,取手が目標だった時代もあったのです。それが今や,尾っぽを踏んだどころか,そういう自治体から羨ましがられるようになって嬉しいですね。

 

    けれど,日本一になったといわれても,我々からするとそうでもないと思いますし,思い上がってはいけないと思います。

    我々が比較している近隣地域は,これからいくらでも絵を描けるわけですから。守谷はもう絵は描けません。35k㎡という狭い地域で,400haくらいは小貝川,利根川,鬼怒川の河川や河川敷で,それほど使える用地がありません。常総市などはこれから色々な絵が描けます。

    従って,そういうところがこれから発展するかもしれません。そういう時代は必ず来るのではないでしょうか。

 

    そう考えると,つくばエクスプレスが通ったことによって,この地区は駅勢圏(*)が徒歩・自転車圏,自家用車圏,路線バス・関東鉄道アクセス,すべてが10㎞四方で他の自治体に出られる位置にあり,これからは商圏から何かからすべてを共有している時代に突入します。そういう意味から,単なる35k㎡というちっぽけな単位ではなく,今後はつくばエクスプレスの駅勢圏を中心に見据えてしかるべきと思いますね。小さくまとまらないでほしいですね。今日は本当に有難うございました。

 

司会  では,穂戸田さん,お願いします。

 

穂戸田 守谷は,各地域がバランスよく開発されてきました。住民資質も温厚でした。公団の南北団地ができたことで,団地の中の道路も良くなり,皆さんが開発に関心を持つようになって,地域の道路も整備されてきました。そういう点では団地開発がすべてのひきがねになっているように思いますね。

 

    今後は,駅の東側,クレトイシと永泉寺周辺の開発が始まりますが,どういうふうになるのか,この辺が整備されると東口は活気が出てくると期待しています。できれば働く場所もほしいと思いますね。昭和30年代の工場誘致で町に入った企業がなくなったのはさびしい限りですが,こういう時代ですから仕方ないとは思います。

    一方,(同じつくばエクスプレス沿線にある)柏やオオタカの森を見ると,かなり開発が進んでいます。つくばでも(開発を)やっていますし,今の守谷を見るとそういうところに追いつけるのかなと危惧しています。

    もちろん商業だけではいけませんが,そういう部分を,首長さん始め職員皆さんで頑張ってほしいですね。有難うございました。

 

司会  有難うございます。では,大徳さん,お願いします。

大徳  守谷は今まで,これだけの開発をしてきたのですから,今,穂戸田さんから話があったクレトイシ周辺の区画整理事業を最後にして,後は緑を大切にしてほしいと思います。簡単ですが,以上です。有難うございました。

 

司会  有難うございました。では最後になりましたが,高橋さん,お願いします。

 

高橋  今回の機会は,石﨑さんの発案で作っていただいたと聞いていますが,本当に有難うございました。

 

    話の中で色々と発言させていただきましたが,石﨑さんが言われているように,時代はめぐるということを,副市長さん,少し考えていただきたいと思います。

    高坂さんがおっしゃられたように,今は良いかもしれませんが,10年,20年後はどうなるのかと,常に先を見据えることがトップの方々の責任だと思います。ですから,改めて職員を大事にしてほしいですね。

    今は,職員間同士の交流が少なくなってきたのではないでしょうか。ですから,改めて今,職員を大事にしてほしいですね。私どもが導入した人事評価が岐路に立っていると思いますが,これを再度見直して,一般市民や私たちのようにリタイアした人からも,たいしたものだと言われるような職員を,時間をかけても育ててほしいですね,職員を大事にしてほしいというのがお願いですね。以上です。どうも有難うございました。

 

司会  皆さん,本日は色々なお話をいただき,誠に有難うございました。

    守谷ではまだまだ人口が増えていますが,これからは日本全体の人口が減っていく時代ですから,当然のことながら,いつかの時点で守谷の人口も減ってくることを想定して,今後を考えていかねばならないと思います。

 

    これからも皆さん方のご指導を受けながら,守谷市職員一人ひとりが将来の守谷市を見据えて,市民の皆さんと協力しながら,色々なまちづくりを行っていければ良いと思います。そのためには,皆さん方に今後ともご指導を賜りますようお願い申し上げます。