◎用語解説

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組合立中学校(学校組合立中学校) 昭和22年の学校教育法施行に伴い,6・3制の義務教育と各市町村ごとの小中学校開設が義務付けられた。中学校は母体となる旧制の学校施設がなかったため,全国的に施設の確保が問題となった。守谷,高野,大野でも単独の開設は行わず,1町2か村連合で学校組合立守谷中学校を設置したが,大井沢は村単独で大井沢中学校を開設した。
軟弱野菜 ほうれん草など,収穫してから急速に品質が落ちる野菜のこと。
近郊農業の主産物。
よこだ籠 割った竹を組んで作った容器。取っ手がついている。野菜や魚などの収穫物を入れるのに使っていた。
守谷倉庫(農業倉庫) 大正12年守谷町信用販売購買組合の農業倉庫として建設。米麦保管のため1町3か村で共同利用していた。
海老原会社(海老原工場) 海老原航空機株式会社。昭和18年に東京羽田から守谷町に工場一部を移転し,戦中は航空機部品製造,戦後は農機具等を生産した。昭和22年工場閉鎖。
越流堤 洪水調節の目的で堤防の一部を低くした堤防のこと。溢流堤(いつりゅうてい)とも。越流堤の高さを越える洪水が発生した際に,越流堤から洪水の一部分が調節池などに流れ込む構造になっている。
台風7号 昭和34年8月12日に硫黄島南東海上で発生した台風。発生後,急激に発達しながら北上し,14日早朝に富士川河口に上陸,全国に大きな被害をもたらした。町内でも,台風により増水した利根川が越流堤全長280mのうち223mを決壊させて遊水池内に流入。
また,大柏下から高野下の囲繞堤も110mにわたって決壊した。これにより,西大木地区,高野・羽中地区などが冠水し,住宅や田畑,道路に大きな被害が生じた。越流堤決壊の翌日(8月15日)には,水害状況の視察として岩上二郎県知事が来町した
砂防堤 山地や渓流からの土砂の流出を防ぐために設ける堤防のこと。
農業構造改善事業 零細な農家経営を,生産性の高い大規模経営に変えるため,農林水産省から事業指定を受けた市町村が,国からの補助や低利融資を受けて,土地基盤整備・大型機械等の近代化施設の導入などを行う事業。実際に開始されたのは1962年(昭和37年)。
農地転用 農地を農地以外の目的に転用することで,自分の農地を別の用途で自分で使用する場合(第4条)と,農地を住宅地などとして別の人に売ってしまう場合(第5条)とに分けられる。
次三男対策事業 昭和30年代,農家は長男による世襲が主であったため,実家の農家を継ぐことができず,分家して独立することもできない農家の次三男の就業先確保の問題が深刻化していた。
大八洲開拓団 1936年(昭和11年)以降,当時の日本政府の国策として推進されていた中国大陸旧満州・内蒙古・華北への移民事業により, 1938年(昭和13年)旧満州弥栄村に入植した満州開拓団。主に山形県出身者から構成されていた。戦後日本に引き上げ,守谷町(大木流作・大原・素住台地区),と水海道市菅生町(黄金地区)に移り住んだ。
五省協定 当時の建設省,大蔵省,文部省,厚生省,自治省で了解された協定のこと。この協定により,日本住宅公団(現都市再生機構)等が行う大規模な宅地開発等に際し,自治体の急激な費用負担を軽減するため,公団等が公共施設や利便施設の建設費を立替し,当該市町村は立替金を長期で返済して当該施設を取得することとなった。
土地区画整理事業 一定の地域で道路や公園などの公共施設の整備改善及び宅地の利用増進を図るために行う市街地開発事業のこと。都市計画法と土地区画整理法で規定されている。
岡堰 寛永7年(1630年),関東郡代伊奈半十郎忠治が徳川三代将軍家光に命じられて築造。32か村が受水し,その維持管理は用水組合が担っていたとされる。しかし,組合管理の諸事務を担う惣代と小前百姓との間で,私利私欲の絡む水害等をめぐって,争論が頻発していた。隣接地域の利水組合(千間堀組合/構成:取手市市之代・貝塚,守谷市同地・奥山新田・赤法花・辰新田・守谷)との間でも,悪水処理や堀浚を巡り争論が絶えなかった。
昭和8年の小貝川改修工事にあわせた可動堰及び洗堰築造の際,可動堰設計施工を担当した建設技官山本三郎氏(内務省東京土木出張所)はその後,建設省事務次官,水資源開発公団総裁,日本ダム技術センター理事長,日本河川協会会長等を歴任した。
パリの下水道 19世紀,セーヌ県知事を務めたジョルジュ・オスマン男爵は,ナポレオン3世にパリの近代化を託され,パリ大改造計画を実施した。1855年にウジェーヌ・ベルグランをパリの上水道,下水道システムの責任者に任命。ベルグランの指導のもとに1851年から1869年の間にパリの下水道は4倍に拡大された。
郷州原遺跡 郷州原は,農作業などの際に石器・土器等が掘り出される埋蔵文化財包蔵地として知られており,1944年(昭和19年)にはそれを記念して「原日本民族居住遺蹟」という碑が建立されていた。この地を開発するに当たり,記録保存を行うため,守谷町郷州原遺跡発掘調査会を1978年(昭和53年)5月に設置。翌年3月に現場作業を終了し,一部を文化財公園として保存した。現場では先土器時代の石器や,縄文前期の開山式土器,尖底土器一部のほか,丹塗高杯等の遺物,縄文から古墳時代にかけての貝塚や住居址等の遺構等が確認された。発掘調査に掛かる費用は三井不動産(株)が負担し,調査会会長は守谷町長,理事及び事務局として町関係者・職員のほかに三井不動産(株)職員も入り,調査団団長は立正大学講師丸子亘氏が務めた。
住宅宅地関連公共施設整備促進事業制度 昭和53年建設省が定めた制度。新しく開発される宅地,団地等において整備が必要となる公共的な施設は,なるべく国,地方公共団体の負担において行うことで,民間(開発業者)の負担を軽減するとともに宅地の販売価格を抑えるために制定された。
操車場 鉄道における停車場の一種で,貨物列車などの組成・入換えなどを行う場所のこと。
シールド工法 シールドと呼ばれる鋼製の筒や枠を地中に押し込みながらトンネルを構築する工法のこと。地下鉄,上下水道などの都市内におけるトンネル工事に広く用いられる。
減歩 土地区画整理事業において,事業に必要な用地や整備費用を捻出するために,土地を地区内の地権者から少しずつ出してもらうことで地権者の土地が従前の土地面積より減少すること。
先行用地買収 区画整理事業において,道路・公園などの公共用施設用地の一部に充当するため,施行者(市)が施行区域内の土地を売却希望者から買収すること。
駅勢圏 駅の勢力圏。その駅を利用する人の比率が高いエリアのこと。
常総地区開発促進協議会 1960年設立(構成:水海道市,守谷町,取手町,藤代町,谷和原村,伊奈村)。産業文化の向上と交通利便性の推進を目的とする協議会。設立時の目標は,①工場住宅等の誘致促進 ②常総線の電化と常磐線の乗り入れ促進 ③2級国道(取手~水海道間)の工事促進 ④守谷~芽吹大橋間の道路改修促進 ⑤取手~筑波間の観光道路新設 ⑥藤代~水海道間の道路改修整備 ⑦その他産業の開発 の7点を掲げた。
利根川架橋促進協議会 1962年設立。筑波から東京に通じる新道路とこれに伴う大利根架橋建設の実現を目的とする協議会(守谷町設立)。1963年の筑波山麓への学園都市整備閣議決定後は,常総地区開発促進協議会とともに,新高速道路を含めた整備実現のための運動を行った。
首都圏近郊整備地帯 1965年6月に改正された首都圏整備法に基づき,既成市街地周辺の無秩序な市街化を抑制し,計画的な市街地整備と緑地の保全を図る区域として設定された(既成市街地を囲む相当広域(半径約50km)の地域)。
日本住宅公団 1955年設立。日本住宅公団法により設立され,住宅不足の著しい地域において,住宅に困窮する勤労者のために耐火性能を有する構造の集団住宅及び宅地の大規模な供給を行った。1981年に解散。業務は住宅・都市整備公団に承継された。
住宅・都市整備公団 1981年設立。住宅・都市整備公団法により設立され,住宅事情の改善を特に必要とする大都市地域等において良好な居住性能及び居住環境を有する集団住宅及び宅地の大規模供給とともに,健全な市街地造成,又は再開発のための市街地開発事業等のほか,都市環境の改善効果の大きい根幹的な都市公園の整備を行った。1999年に解散。業務は都市基盤整備公団に承継された。
行革審(臨時行政改革推進審議会) 1983年設立(会長:土光敏夫(元経済団体連合会会長))。行政改革方向を検討するための内閣総理大臣の私的諮問機関。1986年6月に「今後の行財政改革の基本方向」という答申を出して解散。
守谷町工業団地土地区画整理事業立地企業選考委員会 1988年設立(構成:収入役,教育長,全課長等,委員長:助役,)
企業選定を行う町組織であり,周辺の住宅地域と整合した良好な環境の工業団地となる企業選定に留意した。
守谷町都市計画委員会 1968年発足(構成:町長,議員8名,学識経験者5名,委員長:町長・任期2年)。守谷町都市計画委員会条例に基づき,町の将来を決めて,土地の高度利用や適切な都市計画を立て,新しい秩序ある町づくりを実現するための審議組織。
守谷町都市開発対策協議会 1969年発足(構成:町長,議長,議会議員,農業委員,地域住民代表者,教育委員等(全64名)会長:町長,副会長:議長)。都市計画法に基づく市街化区域と市街化調整区域設定の問題及び近郊整備地帯の整備計画に対処し,町の将来を検討する組織。
守谷町及びその周辺の開発状況の説明,都市開発についての町の基本構想や大規模宅地開発の説明等を行った。
茨城県県南県西地域交通体系調査委員会 1976年発足(委員長:八十島義之助(東京大学教授,運輸政策審議会委員,首都圏整備審議会委員))。県南県西地域の将来交通需要の質的,量的変化を想定し,これに対応する輸送体系(特に鉄道整備構想)を確立する目的で設置された県の調査機関。県内に複数あった計画予定線を整理し,茨城県の発展方向と調和の取れた形での県独自の鉄道網計画を策定。1978年に県南県西地域交通体系整備計画調査を発表。この中で,常磐線の輸送力強化策として,「都内~水海道~学園都市~石岡~水戸」を経過地とする第二常磐線(常磐新線)構想を初めて提起した。
第二常磐線と地域開発に関する調査研究会 1983年発足(委員長:新谷洋二東京大学教授)。第二常磐線の早期導入と沿線開発促進のため,計画の深度化を図る目的で設置された県の調査機関。1984年に県議会に対して「第二常磐線と地域開発に関する調査研究会報告」を提出。この中で,想定4ルートのうち,3ルートは採算がとれ成立可能と結論付けた。
第二常磐線研究会 1984年発足(委員長:新谷洋二東京大学教授)。第二常磐線の実現方式を探るため設置された県組織。開発利益の還元方式や事業主体,土地対策などの具体的な検討を行った。
第二常磐線建設促進期成同盟会 1984年発足(構成:水海道市,守谷町,谷田部町,谷和原村,伊奈村,桜村)。運輸政策審議会での採択を目的とする県組織。関係6市町村で国・県に対する要望運動等を展開した。
運輸政策審議会 1984年発足(構成:専門家・有識者など)。国家行政組織法第8条及び旧運輸省組織令第108条に基づき,旧運輸省内に設置された審議会。運輸大臣の諮問に応じて総合的輸送体系に関する基本的政策及び具体化計画の策定,その他運輸省の所管行政に関する基本的政策等について,10年以上先の長期的な視点により調査審議し,これに関して必要と認める事項を関係大臣に建議した。
茨城県常磐新線等整備促進期成同盟会 1985年発足(発足時構成:県,県内関係26市町村(議会含む),関係12団体,会長:茨城県知事,顧問:県選出国会議員,参与:関係市町村選出の県議会議員)。県として常磐新線整備促進活動を統一して進めるために設立された。
常磐新線建設促進関係都県連絡協議会 1985年発足(構成:東京・埼玉・千葉・茨城の都県知事,会長:茨城県知事)。関係都県レベルでの協議機関。1987年には第3セクター早期設立について運輸大臣に陳情を行った。
常磐新線守谷ターミナルとまちづくり懇談会 1985年発足(構成:守谷町,県,運輸省,建設省,国鉄,住宅・都市整備公団,大学教授,座長:小島重次国際科学技術振興財団主任研究員)。守谷ターミナル整備調査や守谷町まちづくり調査の実施(コンサルタントに委託)や,新線関連施設の概略構造計画策定,関連用地の確保方策,資金計画などを検討
守谷町市街地整備基本計画策定委員会 1986年発足(構成:町長,交通・都市計画専門学識者2名,建設省建築研究所都市施設研究室長,都市交通調査室長,都市計画課専門官,街路課専門官,区画整理課専門官,茨城県鉄道交通課長,地域整備第二課長,都市計画課長,都市施設課長,住宅・都市整備公団事業第一部長,都市開発企画部長(全14名),委員長:筑波大学教授)。「優れた居住環境に支えられた潤いと活気に満ちた文化都市」を目指し,常磐新線建設計画や他の上位計画と整合させながら,その手法と実施時期などについて計画する市街地整備基本計画を策定した。実務作業は(財)国土計画協会に委託
*構成員のうち学識者に森地茂東京工業大学助教授,黒川洸筑波大学教授を含む
常磐新線整備検討会 1986年発足(構成:運輸省交通計画課長,東京・埼玉・千葉・茨城都県の交通担当部長,座長:運輸省交通計画課長)。常磐新線の建設・整備促進のための国レベルの検討の場。常磐新線の整備主体を,国鉄民営化後のJR東日本が運営する第3セクターとすることなどを検討した。
常磐新線建設促進都市連絡協議会 1986年発足(構成:千代田区,台東区,荒川区,足立区,八潮市,三郷市,流山市,柏市,守谷町,伊奈町,谷和原村,つくば市,会長:台東区長)。常磐新線早期着工・開業を目指して設置された沿線市区町村の協議機関
常磐新線整備検討委員会 1987年発足(構成:1都3県副知事,運輸省大臣官房審議官,JR東日本副社長,委員長:茨城県副知事)。需要予測・収支計算・財源調達方法・鉄道用地確保等の課題を検討
→1988年11月に「常磐新線整備方策の基本フレーム」を取りまとめ合意に至るが,1989年3月に運輸省が「新たなフレーム(案)」を示し自治体の負担軽減を提案。これによりJR東日本は常磐新線への出資,運営参加に消極的となり,最終的に自治体出資(割合/東京4:埼玉1:千葉2:茨城3)による第3セクターの設立となった。
総合土地対策要綱 1988年閣議決定。土地価格高騰に対応するため,土地利用についての政府方針と対策が示され,宅地開発と交通アクセス整備を一体的に進めることとなった。
*基本認識
  • a.土地の所有には利用の責務が伴う
  • b.土地の利用に当たっては公共の福祉が優先する
  • c.土地の利用は計画的に行わなければならない
  • d.開発利益はその一部を社会に還元し、社会的公平を確保
  • e.土地の利用は受益に応じて社会的な負担は公平に負うべき
*土地対策の推進
  • 1.首都機能、都市・産業機能等の分散
  • 2.宅地対策等の推進
  • 3.住宅対策の推進
  • 4.土地利用計画の広域性・詳細性の確保等
  • 5.都市基盤施設整備の促進
  • 6.地価形成の適正化
  • 7.土地税制の活用
  • 8.国公有地の利活用等
  • 9.土地に関するデータの整備
  • 10.土地行政の総合調整の推進等
守谷町常磐新線協議会 1991年発足(構成:学識経験者,町議会議員,地区住民・団体・企業等代表者(全34名),会長:小島重次氏)。常磐新線導入に伴って派生する諸問題を調査,検討する協議会。計画的な沿線開発と鉄道整備を一体的に進めるため,土地区画整理事業手法や新線構造,都市軸道路の敷設などについて検討を重ねた。
首都圏新都市鉄道株式会社 1991年設立。常磐新線(現つくばエクスプレス)の建設を目的とし,沿線地方公共団体と民間企業が出資する第三セクター方式で設立された。資本金14億円,守谷町出資比率は1.6%。
都市軸道路 つくばエクスプレス沿線開発地区を結び、将来の交通需要への対応と道路交通の利便性を確保するとともに、沿線市街地の骨格軸を形成し、新たなまちづくりの促進を図るため計画された都市計画道路。県内では、千葉県との県境である利根川からみらい平駅付近までTXと並行する区間となり,つくば市で国道354号に接続する計画となっている。
計画区間:三郷市~つくば市(約30㎞)
経緯:平成6年3月に都市計画決定され,平成9年1月に小貝川橋梁下部分から工事着工。平成17年8月のTX開業に合わせて部分的に開通。その後,平成18年8月に守谷トンネル4車線開通,平成22年3月に大柏地内一部区間及び松並~つくばみらい市成瀬区間が開通。平成23年1月にさらに大柏地内一部区間が開通した。

 


人口・世帯数の推移


産業分類別就業比(15歳以上)

昭30 守谷町誕生
昭35 企業誘致促進奨励措置条例制定
昭36 (株)呉製砥所誘致決定
昭37 (株)呉製砥所操業。明星電気(株)・(株)前川製作所誘致決定
昭38 企業誘致促進奨励措置条例廃止
昭41 近郊整備地帯指定・取手都市計画区域決定
昭45 市街化区域・市街化調整区域の線引き実施
昭46 北守谷土地区画整理事業都市計画決定
昭48 南守谷特定土地区画整理事業都市計画決定
昭51 北守谷地区土地区画整理事業認可
昭54 南守谷特定土地区画整理事業認可
パークシティ守谷(みずき野地区)開発行為許可
昭57 常総ニュータウン北守谷地区の入居開始
パークシティ守谷の入居開始
昭62 常総ニュータウン南守谷地区宅地分譲開始
昭63 守谷東特定土地区画整理事業都市計画決定
守谷町工業団地土地区画整理事業都市計画決定
平5 守谷町乙子高野土地区画整理事業都市計画決定
もりや工業団地竣工
平7 守谷駅周辺一体型土地区画整理事業都市計画決定
平14 守谷市誕生
平16 守谷東特定土地区画整理事業換地処分
平17 つくばエクスプレス開業
平22 守谷駅周辺一体型土地区画整理事業換地処分
平23 守谷市松並土地区画整理事業都市計画決定

 


守谷市全域航空写真(平成23年撮影)


守谷市全域航空写真(平成22年撮影)


市街化区域編入推移(昭和45年~平成23年)