・海老原町青年会

5 ~ 6

 守谷駅前にあった海老原町は、平成11年の駅前開発により3、4軒を残し約80戸が移転してしまったため人手がなく、それ以降の八坂神社の祭には町として参加できなかった。神輿も担げず、山車も出せなかった。平成18年頃から家を建てて戻って来る人が少しずつ出て来た。また、戻って来なくても海老原町の旧住民や新しく越してきた新住民で祭に参加したい人が増え、町内会・氏子会・青年会・子供会を組織し、平成20年から祭に復帰したのである。新旧住民が一体となっての復帰は、現代人が忘れがちな郷土を愛する強大なエネルギーと強い意志を感じさせる。核家族化や都市の近代化により地域行事の伝承が困難となりつつある現今、理想的なモデルケースであるといえる。

 祇園祭に参加できない時、ある町から山車を貸してほしいとの話があったが、断固として断った。先輩たちが苦労し努力して手造りした山車であるし、いつか祭に復帰したいと夢見ていたからである。

 海老原町公民館には昭和45年頃まで使用された緑の唐草模様の被りが付いた獅子頭と、それ以降に作成され平成11年まで使われた青の唐草模様の付いた獅子頭が保管されている。新しい方が一回り大きく、新旧2匹は片方の耳がそれぞれ外れている。25日の獅子祓いの時に獅子に頭を噛まれ泣き出す子も多かったという。また、海老原町公民館1階の山車脇には、平成11年まで祇園祭で使用した手作りの子供神輿が安置されている。