幟立の彫物

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 上町の幟竿5本と幟立は稲荷神社北側の山車格納庫脇、坂町の4本は坂町公民館入口、仲町・城内の2本は斎藤一彦家、栄町の1本は明治神宮遥拝所などと、どの町も専用の幟竿・幟立置き場を備えている。

 各町の幟立上部の小口には生き生きとした見事な木彫が付いている場合が多い。明治30年6月、坂町では根本角平他4名が「北方 後藤彫」とある珠を銜えた丸彫の獅子半身像の彫物、菅谷藤四郎他4名が松樹の下に官服姿の騎馬軍人2名を浮彫した彫物を奉納した。同31年4月に下町の大和田菊次は猿が翁媼に桃の様な物を献上している彫物を、下新田の切妻木造屋根と「北方 後藤彫」と刻まれた素戔嗚尊の八岐大蛇退治の彫物は、同年5月に仲町の野口常蔵が奉納したものである。大和田と野口は明治32年拝殿修繕及び造敷石新築時の氏子総代であった。そして、城内には、同32年に渡来要助他9名が奉納した切妻銅板屋根と楠正成・正行父子の桜井の訣別の場面を彫った「北方後藤作」の彫物がある。上町の素戔嗚尊八岐大蛇退治と龍を一部透彫で彫った精緻な浮彫2面は作製年がないが、同時期の物と思われる。また、仲町の田中家には大きな丸彫の獅子半身像の彫物があり、幟立に挟んだようである24。さらに上町には年紀が不明であるが、丸彫の獅子半身像3体がある。彫物とまではいかないが、一対の幟立を上部で接続する横木は雲形となっている場合が多く、中には亀やアヤメが彫られている例もある。

 明治30年6月に坂町が新調した大幟は棒代金7円70銭、幟代(旗代・木綿代・紺屋代)金11円75銭、獅子代金5円、大工手間代金2円、諸掛りが金5円と合計金31円45銭であった。根本角平の金10円50銭をはじめとして他4名で奉納したのである(「オ 墨書・その他資料調査報告 九」)。この幟にも仲町や上町の古い幟のように、5名の個人名が書かれていたと推察できる。


下新田の幟立の彫物