山車

10 ~ 10

 5台の山車は下部の土台と上部の舞台に大きく分かれ、土台中央部に舞台からの心棒が入っていて、舞台が左右に素早く回転する。海老原町の山車を除き、舞台は後方の奥行約3mの囃子舞台と前方の1m弱の踊り舞台に分かれており、踊り舞台が一段低くなっている。上町や土塔新山の山車は囃子舞台と踊り舞台の幅が同じであるが、仲下町や坂町新町では踊り舞台の幅が少し狭い。回転している間、踊り手は片足を強く踏ん張り、もう一方を踊り舞台の端や欄干で支え踊り続ける。その間、安全のため車留をしているが、山車は留まっていても太鼓の振動等で揺れるのである。山車の装飾の基本形は変わらないが、その年の青年会の意向で昨年と少しずつ変化する。

 1軒1軒、舞台正面を町内氏子の門口に向けて囃子や踊りを奉納するのに、山車全体を左や右に90度方向転換するのは大変だったので、明治27年に仲町で舞台部分だけが左や右に動く山車を作ったのが始まりとされる。