服装

10 ~ 11

 現在は一目で総務・総代・庶務・会計・大世話人・年番・御輿担ぎ手とわかる服装をしている。各町の大世話人と年番の祭半纏は少なくても40年以上前に神社が各町に配ったもので、各町の担当が保管する。青年会や子供会も会毎に祭半纏を揃え、誇りと連帯感を持って山車の管理運営に携わっている。馬鹿踊りの面や衣裳は青年会や子供会の物であるが、個人持ちの人もいる。

 昔の踊りの衣裳は布団生地のため、生地が厚く通気性がなかったので、非常に暑かった。上町に下村和裁所があり、そこで縫っていた。上の半纏は比較的簡単に縫えるが、下のタッツケ(裁着)袴は難しいので地元の商店「岩田屋」「川崎屋」や浅草で買う人が多い。大正期の神社役員は紋付の羽織袴であったが、戦後には洋装となった。また、神輿担ぎ手は戦後までは褌[ふんどし]で大変勇ましかったし、各町で浴衣を揃えた時期もあったらしい。