・山車
現在の山車は3代目で、昭和61年5月に上町の大工鈴木博氏・大沢良夫氏がケヤキで作った(「オ 墨書・その他資料調査報告 八」)。舞台の周囲には波と千鳥の彫刻が施されている。毎年激しく使用するので傷みやすく、5、6年前には山車周囲の欄干を新しくした。波シブキを表す彫刻も外れたりしている。囃子舞台と踊り舞台の幅は同じで、踊り舞台の高さは地上から97cm、囃子舞台は140cm。囃子舞台から天井の高さは215cmである。車輪はゴムタイヤ、移動にはジャッキを使用、留まる時は車留を使用する。土塔新山の山車のモデルとなっている。
上町の大工が作った戦前の山車はトロッコの半分位で幅が広く、高さが低く、踊り舞台がなかった。小さいのでよく廻ったが、材料がケヤキではなかったので回転するたびに軋んだ。2代目もケヤキでなかったが、少し大きく良く回転した。当時は道路幅が狭く、道路の両側には溝があり、バスもすれ違うのがやっとで山車のすれ違いも大変だった。
上町山車格納庫に隣接して、上町5本の幟竿収納庫がある。山車を格納庫から出して、上町の倉庫前の駐車場で組み立てる。山車正面上部に「上町若連」とあり、その下に三つ巴紋を染め抜いた紫の幔幕を張り、囃子舞台の前左右の柱に幣束と大麻を祀る。踊り舞台の左右両脇の屋根に笹の付いた竹を下げる。
・囃子と踊り
青年会は男女各20名の約40名。囃子と踊りは上町若連と称し、掛け声は「ソーレ、ソレソレ」である。昔は仲下町と同じ囃子であったが、特色を出そうと25年位前に内守谷の馬鹿囃子に倣ってメリハリの付いた少し早目のリズムになった。薄水色の半纏の両前衿に「上町若連」、背中に黒で「上町」とある。