・山車
平成6年に杉材の山車が壊れてきたので、平成7年4月から大山寿・哲氏の父子が3か月で上町の山車をモデルに作った。それまでは山車格納庫がなかったが、吉田工事(株)が格納庫を寄付してくれるとのことで、地区の人々から山車の寄付を集めた。現山車の骨組は昭和47年頃製作されたもので、2t車体を改良して使用している。回転部は合金心棒であるが、重心がやや前にあるので、後に鉄板が40kg入っている。筑波で求めた材料のケヤキは暴れやすいので、側面はケヤキの集成材を使っている。両側面の鳳凰・青龍や三つ巴紋の彫刻は哲氏が彫り、鳳凰の左側面に「哲」と刻銘がある。囃子舞台に同じ幅で一段低くなった踊り舞台が付く。欄干は浅草の宮本卯之助商店で求めた。ゴムタイヤは平成6年迄の山車のもので、他にこれまで修理はなかった。山車を格納庫から出す時に乾拭きで磨き、回転部にワックスを塗っている。
正面の唐破風屋根下に「奉納 八坂神社 土塔新山若連」とあり、その中央上部に扁額「八坂神社」とある。山車の中央には幣束が祀られ、踊り舞台の前両脇には大麻を立てる。山車が回転する時には、山車の後方に立てている2本の旗「奉納 土塔新山若連」「素戔嗚尊」を外す。車留には綱を使う。土台の左右には奉納物とその人名が書かれた半紙が張り出されている。
昭和3、40年代にも大八車を改造した山車があり、子供の時に頭に色々な色の花紙で飾った花笠を被って山車を曳いた。山車はピンク・水色・黄色等の花紙の花で飾られていたので、花車・花屋台・花山車と呼んでいた。
・囃子と踊り
大太鼓・小太鼓・笛・鉦の他に拍子木を使う。掛け声は「ソーレ、ソレ、ソレ、ソレ、…」で、ソレがだんだん尻上がりになる。子供の囃子や踊りは戦後から始まったといわれる。7月15日から子供会は午後6時から8時、青年会は午後8時から10時まで毎日真剣に密度濃く練習している。
青年会は若草色の長半纏の背中に黒文字で「土塔新山」、あるいは昔の茶色の長半纏の人もいる。子供会は両衿に「土塔新山子供会」とある赤い祭半纏を着る。今年は「土塔新山」と染め抜いた禄の団扇を作成した。