○海老原町

13 ~ 14

・山車

 海老原町は戦時中の海老原航空機株式会社の社宅から誕生した町で、器用な人が多かった。昭和28年頃造られた昔の山車は大八車の荷台を改造したもので、様々な色の花紙で作った花を飾った花山車であった。平成になって作られた山車はトラックの躯体部をそのまま生かした手作りである。平成20年に山車が復帰した時は町内だけを廻った。翌21年に正式に復帰する時には、宝くじの助成金250万円で山車を修繕し、山車が八坂神社まで行った。この時の感激はいいようもなかった。それ以降、山車の飾りを毎年少しずつ増やしバージョンアップさせている。正面上に大きく「海老原町」とあり、天井が吹き抜け、踊り舞台と囃子舞台とが一体になっていて、緋毛氈が敷いてある。左右両脇と背面には天井から御簾[みす]が下がり、土台部は三つ巴紋を染め抜いた紫の幔幕で覆われている。


 

・囃子と踊り

 青年会は高校生から50歳代まで、女性を含め約50人いて、囃子や踊りの仲間を睦会と名付けている。6月14日から子供会(中学生も含め)は日曜日の午後2時から3時まで、休憩せず集中して公民館で囃子と踊りの練習をしている。青年会は両衿に「海老原町睦会」、背中に大きく「海老原町」とある祭半纏を着る。子供会は「若葉会」とある紺の半纏を着ている。平成21年に完全復帰した時、青年会と子供会(父母や幼児も含め)で前と背に「睦会 海老原町」とある紫色のTシャツを揃え、練習の時に着ている。大太鼓と小太鼓は戦後から3代目である。