3 祭1日目〔7月21日](火)〕

17 ~ 18

一斉幟揚げ

 午前8時頃から各町の大幟が一斉に揚げられる。仲町では各組の班長3名が毎朝8時に斎藤家が保管している幟を揚げる。そして、風や雨が強くなった場合はすぐに下ろすこととなっている。21日、揚げたばかりの仲町の幟は風のため上部が破れてしまい、すぐに上町の川崎呉服店で修繕してもらった。土塔新山の畑の幟は風で竿に絡んでしまったため、その夜にクレーン車を使って下した。破れてなくて本当に良かったという。しかし、坂町の幟は25日に破れてしまった。木綿製の幟は強風のため下部が特に傷みやすく破れやすい。大幟は茶箱や衣装ケースに入り、幟を揚げる個人宅・公民館・山車格納庫に保管されている。


 

社殿等の祭礼準備

 午後1時、宮司・総代と祭半纏を着用した大世話人・年番の総出により、社殿等の清掃と祭礼準備が行なわれた。参道入口に2本の大幟を揚げ、宿またぎ提灯を建て、神輿を神輿舎から拝殿へ遷し飾り付け、獅子頭一対を神輿の両脇に配置、境内にテントを張りピンクの高張提灯「八坂神社」をぶら下げた。

 

青年会の馬鹿踊り奉奏

 21日から25日までの毎日午後7時から8時半まで、青年会による子供会の馬鹿囃子と馬鹿踊りの奉奏が神楽殿で行なわれる。ただし21日は午後8時から御出遣祭があるので、8時までである。21日土塔三町、22日仲下町、23日上町、24日坂町新町、25日は都築社中となっている。

 

御出遣[おでやり]祭

 拝殿中央には、青い稲穂を銜えた鳳凰が頂上に載る神輿が安置されている。その前に祭壇を設け、最上段の6つの三方には左からグレープフルーツ・桃、昆布・スルメ、一対の瓶子に入った神酒・塩・水、1升枡に入った米、重ね餅、胡瓜・人参・大根が供えられていた。祭壇の中段中央には神酒の入った一対の酒器と盃が約20枚載っていた。神輿に向って右に2尺5寸(約76cm)の雄獅子、左に雌獅子。雌獅子の前には金の幣束が配され、その前には室内用の白い大麻、祭壇の両脇には日本酒やビールの奉納品が並んでいた。

 宮司と祭員は白装束、総務は三つ巴紋のある白ネクタイに上着、総代も同じ白ネクタイ、大世話人・年番・庶務・会計はそれぞれの祭半纏を着て列席した。

 午後8時から祭員の大太鼓の合図で、御出遣祭が次のように厳粛に執り行なわれた。

一 修祓

一 宮司一拝

一 遷座…社殿が消灯された暗闇の中、祭員が「オー、オー、オー」と発し、白マスク(白布で口を覆う)に白手袋の宮司が本殿の扉を開け、御霊を本殿から神輿に遷した。

一 献饌

一 祝詞奏上

一 玉串奉奠…雅楽のテープが流れる中、宮司→総務→総代→大世話人(2人1組)→各町の年番代表(他の年番はその場で一緒)→事務局の順に玉串奉奠が行なわれた。

一撤饌

一 宮司一拝

 大太鼓が鳴り響き、その後に列席者は神酒を拝戴した。総務の挨拶に続き、宮司が「厳粛な雰囲気の中で御霊が神輿の方に遷られ、祭礼の初日を迎えることができました。おめでとうございます。25日の本祭まで滞りなく盛大に祭が執り行なわれますように、お力添えを宜敷御願いします。」と挨拶した。さらに、「台風12号が近付いておりますが、25日の祭は必ず行ないます。天候によりましては金曜日の夜に総代会を開きますので、…」と続けた。


御出遣祭での玉串奉奠

 

参籠(宿日直)

 21日から25日まで神社に籠って神輿を守る午前7時半から翌日の同時までの参籠は、5日の全体会の籤引きで次のように決まった。21日は下町・上町が当番で午後1時の祭礼準備終了後から、22日は城内・下新田、23日は土塔三町、24日は新町・栄町・仲町、25日は海老原町・坂町で翌26日の午前7時半までである。これは各町の大世話人や年番が祭半纏を着て交代で務める。主な任務は神輿を守ることである。そして、奉納品や奉納金の受付を行ない、奉納者に神酒を上げ、太鼓を3回連打する。