7 本祭〔7月25日(土)〕

19 ~ 23

 本祭の服装は次のように決まっている。総務・総代は白シャツに三つ巴紋刺繍のある白ネクタイ、白ズボンに白の靴、そして白っぽいパナマ帽で、ネクタイと帽子は総代に就任した時に神社から支給された。大世話人と年番は両衿に「大世話人」「年番」とそれぞれある祭半纏に白の股引姿、白足袋(地下足袋)に麦藁帽子である。祭半纏は神社支給の各町持ちで、白足袋は代金支給、麦藁帽子は毎年支給である。そして、夕方になると、それぞれ「大世話人」あるいは「も」(守谷の「も」)の弓張提灯を持つ。

 

大祭式

 午前9時、拝殿に総務・総代・大世話人・年番・事務局が列席し、宮司他祭員3名により次の通り大太鼓の合図で大祭式が行なわれた。

一 修祓…祓いの言葉・修祓

一 宮司一拝

一 献饌…一対の瓶子(神酒)・塩の蓋を取る。供物は桃・オレンジ、昆布・スルメ、米、餅、大根・人参・キュウリ等。

一 祝詞奏上…「…守谷の郷の守り神…斎祀る」。

一 玉串奉奠…宮司→総務→総代8名→大世話人15名→各町の年番代表10名(各年番は代表と共に)→事務局2名。

一 撤饌

一 宮司一拝

 大太鼓の合図で終了、直会と袮し、全員が神酒を拝戴した。新たに日本酒・餅・赤飯等が奉納されていた。

 

獅子祓い

 式終了後、宮司から獅子祓いの具体的な方法、挨拶の言葉や大麻[おおぬさ](大榊に紙垂が付く)の祓い方について年番に説明があった。午前10時から各町の年番は麦藁帽子を被り2人1組、3人1組になって大麻を持ち八坂神社の使者となって各戸を祓って廻る。家の門や玄関には「御祭礼」の丸い祭提灯が下がり、蘇民将来の御札が張り出されている。

 年番は「おはようございます。八坂神社です。本日はおめでとうございます。」と言って玄関に立つ。家の人が「八坂神社」と書かれた麻の奉納金袋にお金を入れると、年番は「家内安全」「無病息災」「商売繁盛」などと言いながら、左手で大麻の下部、右手で上部を持って、左、右、左と病難や厄難等を祓う。そして、年番が「おめでとうございます」と言って辞すのである。お金は熨斗袋、またオヒネリ(半紙)に入っている場合が多い。かつては神輿の両脇に安置されている元治元年(1864)の雌雄の獅子頭が廻ったため、今でも獅子祓いと呼ばれている。ボク(新仏)の家や喪に服している家には行かない。

 

青年会の獅子祓い

 各町の青年会員が大麻と袋を持って、年番と同じように獅子祓いをして担当の地区を歩いた。獅子祓い同様、ボクの家には行かない。

 

山車巡行祭

 5台の山車と万灯神輿は、午前10時頃から宮司や祭員により山車巡行祭を順次行なう(資料「エ 山車調査報告」参照)。

 坂町新町の山車は坂町公民館で午前11時から山車巡行祭が執行された。山車の前に祭壇を作り、三方に載った1升枡の米、スルメ・昆布、スイカ・桃・オレンジ、トマト・キュウリ・ナス等の山の物と海の物を供える。山車正面上には神様の依代となる御札「守谷八坂神社 印(神璽)印(宮司之印)」(縦25cm×横6・5cm)と幣束(縦36cm)が祀られている。まず最初に宮司一拝、修祓、次に降神[こうしん]の儀、続いて献饌、祝詞奏上、切幣[きりぬさ] (細かく切った麻・紙・米・塩)を撤く清祓いの儀と続いた。玉串奉奠は坂町総代、新町総代、坂町大世話人、新町大世話人、坂町区長、青年会代表2名、子供会代表2名の順であった。そして、撤饌、宮司一拝と恙なく済んだ。

 その後、新町総代の「何事もなく無事に終わることを願って、乾杯」、そして坂町総代の挨拶「子供会・青年会の皆様は練習の成果を十分発揮…」があった。最後に集合写真を撮った。列席者は前記の他に、年番・青年会・子供会と父母・神輿担ぎ手等約100名で、山車の安全巡行と町内の繁栄が祈願された。

 山車の上では子供達による馬鹿囃子と馬鹿踊りが始まり出発した。坂町の大通りからは子供達による約10mの2本の綱に山車は曳かれた。そして、町内の氏子の門口1軒ずつに山車の正面を向け、囃子や踊りを奉納した。

 他の町の山車も、2本の綱によって子供達に曳かれた。

 

神輿宮出し

 午後1時、神輿の鳳凰・紫の綱・燕・風鐸瓔珞等が外され、大世話人や神輿担ぎ手により拝殿から社殿前に置かれた一対のウマ(案[あん]、神輿台)上に神輿は遷された。神輿責任者を中心に神輿の胴を白い晒で巻く。この晒は中の御霊を守るために巻かれるが、祭終了後にこの晒を妊婦のお腹に巻くと安産であるといわれ、昔は人気があったという。腹に白い晒を巻き上下白丁を着て、豆絞り手拭いで鉢巻、白足袋を履いた担ぎ手に麻紐が渡され、全員タスキ掛けにした。穢れのない白き姿であるが、更に身を清めるため麻紐を掛けるのである。

 神輿渡御係総責任者(海老原町大世話人)より神輿担ぎ手の点呼に続き、担ぎ手24名の中からリーダーとして仲下町の1名が指名された。リーダーが仲下町からサブ1名を指名した。例年、リーダーは仲下町が務めている。その後、総責任者より注意事項があった。各大世話人は黄色の腕章「責任者」を付けていた。

 

発輿祭

 午後2時、担ぎ手が神輿を参道階段下の道路に下町の方に向けて安置し、轅[ながえ]を外し、代わりに長さ635cmの担ぎ棒2本を神輿の下台に差し込んだ。神輿の前後に長さ304cmの横棒2本を井桁に組み、4か所を鉄のジョイントで固定し、その上から綱を巻いた。別の綱を神輿の最上部から四方に巻き、鈴を付け、青い稲穂を銜えた鳳凰を頂上に安置した。バケツに入った水でタオルを濡らし、綱に水を垂らし綱が良く締るようした。

 祭員が一拝、修祓、宮司が祝詞奏上、神輿担ぎ手リーダーが一拝、祭員の一拝と発輿祭が行なわれた。神輿の順路は隔年交代で、平成26年は上町先廻りだったので、今年は下町先廻りとなり、神輿は下町に向けて安置されたのである。


 

渡御・御旅所祈祷

 午後2時半からの神輿渡御は、総責任者(大世話人)1名と現場責任者3名(同)の仕切りで行なわれる。隊列は一対の高張提灯「八坂神社 氏子中」(赤と青の三つ巴紋付)2名(年番)、大麻祓いと奉納金袋を持った計2名(大世話人)、宮司・祭員・総代、一対のウマ2名(年番)、そして前方護衛群2名(大世話人)、神輿24名、後方護衛群5名(大世話人)である。神輿の左右には護衛群7名(年番)ずつが配置され、隊列の前後左右に交通指導隊員計4名、最後に後方警戒車(大世話人)が続き、隊列は約70名、長さは約12mとなった。地区の御旅所に入る時には、一対の高張提灯とウマは総代・大世話人の指示により、その地区の年番が持つきまりとなっている。

 神社前の歩行者天国区域には各町からの交通誘導員6名がセイフティチョッキを着て、制止棒を持ち所定の位置に立つ。4年前は歩行者天国が午後6時半から10時、上町と仲町だけであった。しかし、年々人出が多くなり危険なので、現在は午後5時半から10時半、上町・仲町・下町と時間と空間の容量を増やし対応している。道が狭い上、神輿や山車が交差するため、約100店の露店は道路の南側だけと規制されていた。

 神輿は担ぎ手24名が全く交替なく氏子の住む地域約10kmを約6時間かけて、氏子崇敬者の応援を受けながら、猛暑の中を渡御するのである。掛け声は「ワッショイ、ワッショイ」である。大幟が建つ場所や八坂神社の前を神輿が通る時には、必ず「揉め」の声が掛かる。また、17か所の御旅所(休憩所)で休む時、出発する時にも必ずリーダーから「揉め」の号令が掛かる。すると神輿はまず地面すれすれまで2回下ろされ、次に天高く掲げられる。これを「揉む」という。


2度地面すれすれに下げ、その後高く掲げる。これを「揉む」という。

 担ぎ手の地区に神輿が入る時、昔は「ハナを取らせる」といって、その地区の担ぎ手が先頭を担いだが、現在は最初から最後までほぼ定位置である。神輿が通る時に熨斗袋に入った奉納金を納める姿も見られた。

 神輿が御旅所に着き、リーダーから「揉め」の声が掛ると、「ワッショイ」と神輿を地面近くに下げる。これをもう一回繰り返し、次の「ワッショーイ」で神輿を天高く上げると同時に、周囲から拍手が湧く。すぐに一対のウマ(神輿台)が用意され、神輿はその上に下される。そして、御旅所では素麺・天麩羅・梅干・スイカ・キュウリ等の食べ物や各種の飲み物の接待を受ける。中には煙草を接待する地区も数か所ある。そして、打水を張ったり、ミストで神輿を迎える地区もある。

 15分前後の休憩が終わり、出発時には地区の安全祈願祭が行なわれる。神輿の前に地区の人々が並び、宮司が祝詞を奏上し、修祓する。リーダーの「下町地区の発展を願って」との声で、全員で一本締めをする。「持って」の合図で神輿を担ぎ、「一丁揉め」で下、下、上へと大きく揉み、地区の人々の礼や拍手に送られながら、元気に次の御旅所に向って出発するのである。途中、常総線の踏切や交通量の激しい片側2車線の国道294号を往復する。

 担ぎ手が疲れてきて神輿が低くなると、総責任者やリーダー等から「腰を入れろ」「持て、持て」と掛け声が掛かる。次の御旅所までが長い時には、何回も声が掛かり、何度も体勢を整える。

 各地区を渡御した神輿は午後7時半過ぎ八坂神社前を通り、下町へ向かい、戻って仲町の新旅所である守谷薬局で留まった。御旅所清祓い後、また八坂神社前を通り過ぎ、上町のいいだ薬局でUターンし再々度八坂神社前を通り、仲町まで行きUターンして八坂神社前に留まった。来年の渡御は上町廻りなので、上町の方へ向けて神輿を留めるきまりなので往復するのである。その間、神輿は何度も荘厳かつ勇壮に揉まれ、最後の八坂神社前では一層氏く、一層高く揉まれ大きな拍手と歓声が上がった。

 御旅所は例年の下町2・下新田2・城内1・坂町2・新町1・上町2・土塔4・海老原町1・栄町1の16か所と、今年加わった仲町1の計17か所であった。

 

山車の巡行(子供会)

 午前11時頃から子供会による山車の巡行が、青年会の指揮の下で行なわれた。青年会代表は山車責任者なので、黄色の腕章「責任者」をしている。山車がその町内を通る時には囃し踊りながら、左右の家1軒1軒に山車の正面を向ける。また、大幟や八坂神社前を通過する時にも、必ず正面を向ける。八坂神社前では必ず内回りとの決まりがある。神社に向って左に位置する時は右回り、右の時は左回りである。最初は意識されているが、その内に両方向に何度も回転する。

 暑さが厳しかったので、各町内の子供達は半分以上が途中でギブアップし、午後3時半頃には子供会の山車巡行が終わった。暑くて疲れたけど、楽しかった。来年まで囃子や踊りができないので、淋しいとの声であった。


子供会による山車巡行

 

山車の巡行(青年会)

 午後5時半、上町・仲町・下町の神社前道路が歩行者天国となり、青年会による山車巡行が始まった。神社の前では内回りが原則であるが、子供会の時よりも一層速く山車は左右に回転した。山車同士が正面を向いて互いに囃子と踊りの競演をし、その後は回転を競うかのように山車は速いスピードで回転するのである。

 

都築社中の里神楽

 成田市都築社中の男性7名が午前8時から午後9時まで八坂神社の神楽殿で神楽囃子を奏で、祭の雰囲気を盛り上げた。楽器は大太鼓・小太鼓・大拍子(鼓型太鼓)・笛・鉦の5種類で、午後3時「天孫降臨」・同5時「稲荷山」・同7時「八雲神詠(大蛇退治)」と3回の神楽奉納があった。

 平成25年までは柏市船戸の増田社中であったが、代表者が亡くなったため昨年から替わったという。神楽の衣裳は夏冬同じ衣裳なので、この時期に面を被って踊るのは非常に熱くて大変、その上にとても忙しい時期で潮来・取手・野田等で神楽を奉納しているという。全員リタイヤ組であるが、特に練習はしなくても本番を重ねていくことにより技を維持しているとのことであった。

 

参拝客

 午後6時、神社の石段付近まで参拝客が並んだ。昨年は明るい内はこれほど多く並ぶことがなかったので、今年の人出は多いとのことであった。さらに、インドネシア・フランス・ウガンダ等の外国人の姿もあった30

 

御旅所清祓い

 今年から新しく御旅所となった仲町の守谷薬局前で、神輿が着いた時に宮司により、修祓、献饌、祝詞、清祓い、玉串奉奠と御旅所清祓いが行なわれた。休む場所は清浄でなければならないので、最初の時は必ず清祓いが行なわれる。

 

還幸祭

 午後8時、八坂神社前に戻った神輿は、鳳凰・綱・担ぎ棒が外され、轅が挿され、担がれて社殿前に遷った。胴部の白い晒が外され、消灯の中、神輿前方は三方を白い布(衣垣)に覆われ、白装束に白マスク・白手袋の宮司により御霊が本殿に遷された。

 

祭礼終了奉告祭

 拝殿に宮司・祭員・総務・総代が着座し還幸祭が執行された。その後、神輿は神輿舎へ納められ、乾拭きされ、シートがかぶされた。午後8時半、神輿舎前で担ぎ手・総代・大世話人・年番が円陣を組み、神輿責任者の司会により奉告祭が執行された。総務・宮司の挨拶後に、本年の祇園祭の無事なる渡御終了の礼と来年の更なる盛大な祇園祭を願って、全員で力強く三本締めをした。

 5台の山車と万灯神輿が神社周辺に集まり、さらに賑やかな囃子と踊りの競演となった。午後9時半頃には仲下町・上町・坂町新町の山車が神社前に並び、一層賑やかに囃し踊り、一層速く山車が回転し佳境を迎えた。例年最後の30分は祭の無事終了を祝い、かつ最後を惜しんで、皆が力の限りを尽くすので大変盛り上がるという。午後9時50分に坂町新町の山車が去ったが、上町の山車は仲下町と競演し張り合っていた。同9時55分、仲下が去ると上町も去り、祭は遂に終わった。


3台の山車が神社前に集まり、祭はクライマックスを迎える。

 15年位前までは警察も祭を大目に見てくれていたので、神輿や山車ももう少し遅くまで出ていた。現在はきちんと規則を守らないと来年の許可が出ないし、安全面からも規則を守っている。今年の祭は神輿・山車共に統制が取れていて大変良い祭であったという。

 

清掃

 午後10時、大世話人・年番・青年会による歩行者天国の道路清掃が行なわれた。極暑だったためペットボトルや空き缶のごみが非常に多かった。同10時半に歩行者天国が解除された。

 

氏子祭典終了奉告参拝(仲下町・上町・坂町新町)

 午後10時13分、仲下町の青年会が全員で八坂神社に参拝、山車に祀っていた御札と幣束を社務所に納め、円陣を組んで代表が挨拶、三本締めをした。同10時半、坂町新町の青年会が同様に参拝、御札と幣束を納め、円陣を組んで代表が「皆さんの御協力があって、…、来年もまたこのメンバーで…」と挨拶、一本締めをした。同10時40分、上町青年会が同様に参拝、円陣を組んで代表が挨拶、三本締めをして祇園祭終了の奉告をした。土塔三町や海老原町の青年会は、午後6時前後に相次いで全員参拝をした。