幟返し(倒し)・提灯片付け
仲町では午前8時から、城内や下新田では同8時半から幟返しが始まった。特に仲町の斎藤家では天候が悪いためなかなか揚げられなかった最古の嘉永2年(1849)の古い大幟が、家族により午前6時過ぎに揚げられた。他町の人々も大勢見学に訪れ、感動を共にした。下新田の幟返しでは、まず最初に幟立の明治31年の屋根と彫物が外され、次に昨日から揚がっていた大幟を下ろした。幟が汚れないように青いビニールシート(仲町では夕涼み台)の上に幟を下し、綱を外した。幟立周囲を深さ半分位掘り返し、幟竿を倒す反対側のロープを3、4人で押さえる。倒す方にある雲形を外し、徐々にロープを緩め倒していく。竿を梯子で受け、徐々に竿を下げ、竿の根元近くに太い丸太(他地区では臼)を置き下げていくと、てこの原理で2本の幟立が自然と上がる。幟立と竿を結合していた心棒を外し、一対の幟立を繋いでいた横木やクサビを取り外し、もう一方の雲形を外す。幟立の土中にあった部分の土を、幟竿建ての時に作っておいた藁タワシできれいに拭き取る。他の地区でも昔は藁タワシを使っていたが、今は棕櫚タワシや雑巾となった。幟返しの時間は、幟竿建ての半分以下の約20分であった。
そして、彫物は大世話人が預り、幟竿と幟立を西林寺門前の幟倉庫に納めた。次に町内道路の提灯を外した。
八坂神社の片付け
社殿・神楽殿・幟・宿またぎ提灯・テント等の片付けと清掃が、各町の大世話人・年番の計14名により午前9時から実施された。
26日午前4時頃、会計と参籠の年番(海老原町・坂町)が中心となって奉納金・奉納品・賽銭等の確認をした。そして、結果「速報」を印刷して、ざらい用の酒や餅を分配する時に各町に配った。
ざらい用神酒・餅の分配
午前10時から拝殿で例年通り坂町の大世話人が、八坂神社に奉納された日本酒・ビール・餅の分配をした。毎年のように上から赤・白・緑の三段餅と白の二段餅2組が奉納されていた。それぞれの量は地区の寄進金分担額により異なり、緑の大餅は4等分された。餅には神霊が宿るといわれ、各町でさらに細かく切られ各氏子に配られる。同11時前後に各地区の大世話人や年番が受け取りに来た。
氏子会のざらい
「ざらい」とは各公民館での年番の引継ぎと慰労会をさす。年番が替わる、つまり座洗い[ざあらい]、または直会[なおらい]から「ざらい」と呼ばれている。直会は、本来は神に供えた飲食物を「お下がり」として食べ、神人共食して神の力を得るものである。
坂町新町では午前11時から坂町公民館、仲下町4地区(仲町・下町・城内・下新田)では午後2時から例年のように下町公民館で氏子会の「ざらい」が行なわれた。下町公民館では各地区の大世話人5名が上座に横に着座、今年の年番が各テーブルの左側、来年の当番が向かい側に並んだ。仲町大世話人の司会により、最初に「仲下4町内 御祭礼等年間行事日程」が配布され質疑応答がなされた。そして、今年の年番から次の年番に年番提灯「も」が渡され、引継ぎがされた。年番半纏はクリーニング後に新年番に渡される。その後、慰労会となり、午後3時頃解散となった。「ざらい」の準備は今年の年番が行なった。新年番の最初の仕事は「ざらい」の片付け、次は8月末の各町の灯籠祭、11月23日の新嘗祭と続く。
青年会のざらい
各町では山車の片付けが終わった午後3時頃から、青年会の「ざらい」が各公民館で実施された。坂町新町ではバーベキューに青年会・神輿担ぎ手・子供会とその父母が多く集まり、慰労会が実施された。坂町新町の青年会代表は、午前の氏子会の「ざらい」で年番を受けたため、来年度の青年会代表は他の人が担当することとなった。
下町公民館では午後4時頃から仲下町の青年会の「ざらい」が行なわれ、坂町新町同様のバーベキューに青年会・子供会とその父母等が多く集まった。