当番・地区

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 文化9年(1812)・安政2年(1855)の文書には上当番として上町・昼坂町(現坂町)・新町、下当番として下町・中町(現仲町)に分かれ、1年交代の当番制で祇園祭を行なったとある。天保9年(1838)の文書には神輿は下当番の時は下より、上当番の時には上よりとあり37、現在隔年で神輿を上廻りと下廻りにすることは当時の当番制の名残りといえる。

 旧守谷地区の発展とともに住民が増え仲町から城内、下町から下新田が誕生した。また、新町裏からは栄町、上町裏(上裏)からは土塔が独立し、そして新生の海老原町が加わり、元からの坂町と合せ、祇園祭は江戸時代の5町から現在の10町となった。 しかし、それらは江戸時代の5町が母体となっている。