幟立の彫物

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 明治30年代初頭、氏子総代の大和田菊次や野口常蔵をはじめ各町の有志が、相次いで北方(龍ケ崎市)の彫刻師後藤等に幟立の彫物を依頼して、祇園祭に大幟と共に飾り、個人や町の力を誇った。幟立の装飾彫物10件(13点)43は大変珍しく旧守谷地区独特の物で、素木の木目を生かし精巧に彫られ、生き生きとしたその像容は文化財的価値が大変高い。しかも110年以上現役で毎年飾られていることに伝統的価値がある。

 「北方 後藤」と刻まれた彫物が3点ある。龍ケ崎市北方町から利根川を超えて南西5kmの地に、新四国相馬霊場の第81場札所である我孫子市新木の長福寺がある。その大師堂は方一間、向拝付、唐破風屋根に瓦葺で、向拝や正面扉に獅子・龍・仙人・天女等の精緻な彫刻が彫り込まれている。また、両側面と背面の外壁には十六羅漢の見事な浮彫がある。そして、大師堂左側に明治32年1月21日建立の大師堂再建供養石があり、大工と石工の間に「彫刻師 北相馬郡北方 後藤藤太郎」と刻まれている。旧守谷地区の幟立の彫物にある「北方 後藤」は時期的にも一致しており、後藤藤太郎(1861~1931)44と考えられる。

 同市新木にある葺不合[ふきあえず]神社の明治30年2月建築の彫刻に覆われた本殿には、大工や木挽と並んで「彫刻師北方村後藤藤太郎」45、さらに同市湖北正泉寺の明治31年3月落慶の本堂欄間彫刻にも「彫刻師 北方村 後藤藤太郎」とある46。しかし、旧守谷地区の彫物には「藤太郎」がない。彫師は後藤藤太郎の一族や弟子と考えられるが、今後の研究を待ちたい。


獅子が銜えた透かし彫りの宝珠の中に「北方後藤」の銘が刻まれた玉が入っている。