天保9年(1838)の文書に、神輿の他に屋台(山車)の廻し方が記されており、(下)新田西林寺下門前より上、中、下、新町、昼坂(坂町)廻しとある51。しかし延享元年(1744)には筑波太夫・かとり太夫が囃子や踊りをしていたので、山車の出現は延享元年以前と考えられる。
明治27年に造られた仲下町の山車は、当初から下台部と舞台部の上下2重構造で左右に自由自在に回転していたとされる。また、上部には人形が立っていたという。山車も囃子も佐原から伝わったとされ、山車の起源を佐原に求めることができるが、佐原の山車は回転しない。8月末に行なわれる鉾田市の鉾神社祭礼の山車は上部に人形を載せ、旧守谷地区の山車のように左右に回転するが、守谷ほど速くない。