馬鹿囃子・馬鹿踊り

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 馬鹿囃子は当初は若囃子[わかばやし]と呼ばれ、享保(1716~36)の頃、武蔵国葛西(東京都葛飾区)の香取明神の神主能勢環が村内の若者を集めて教え、祭礼に出したからとされる。東京近郊の神社の祭礼に奏でられる囃子で、神田囃子の原形ともされる。太鼓・締太鼓2・鉦・笛を用い、計5名による五人囃子が一般的で、旧守谷地区の囃子もほぼ同様である。

 守谷祇園祭の馬鹿囃子や馬鹿踊りは共に佐原(香取市)から伝わったとされるが、仲下町の囃子や踊りが基本となっている。遅くとも延享元年(1744)には山車があり、囃子や踊りが行なわれていた。

 仲下町の仲下若連は7月18日の「みずき野祭」に招待され、青年会と子供会から各10名の計20名が囃子と踊りを披露してきた。平成25年から3年連続である。また、老人ホームやデイサービスにも出張し実演している。どこへ行っても好評で、観客が大変感激している。また、仲下の青年会・子供会にとっても教育の良い機会となり、誇りを持っている。