おわりに

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 今回の祇園祭調査は守谷市無形民俗文化財の指定に向けての調査であった。責任の重大さを考えず、以前から興味を持っていた祭だったので調査を安易に引き受けてしまい、深く反省したが後へは戻れなかった。

 八坂神社の宮司や総務をはじめ、総代・事務局・大世話人・年番・氏子・青年会・子供会の皆様が、輝きながら祇園祭に自主的かつ積極的に取り組んでいることを調査が始まってすぐに実感した。調査を進めて行く中で、皆様の親切かつ協力的な姿に、一生懸命調査しなければと何度も励まされた。このように地域一丸となった調査協力の御蔭で、調査者冥利に尽きるほど細部に亘って調査ができ、新史料が多く出て、どんなに感謝してもしきれない程の大感謝である。

 今回の調査では、旧守谷地区の持つ伝統的な町場の偉大さ、地域力を痛感した。地域のコミュニティを破壊するような急激な開発の中で、このように祇園祭が盛大に継続していること自体が驚きである。旧守谷地区の人々の信仰心、郷土愛の深さと誇り、そして一丸となって子孫に伝えていこうとの気持ちがそれを可能にしている。江戸時代から続く祇園祭の伝統を真摯に守って神輿が渡御し、祭に必要な大幟や山車は昔から地元の人の手により作られ修繕され続けている。囃子や踊りも次世代へ継承され続け、その教育効果は非常に大きい。幟竿建てや幟返しも地域の連携と熟練した技がなければ無理である。江戸時代から続く人家・商家の多い町場で、かつ連帯感・団結力・地域力があったからこそ、祇園祭の継続・発展は可能であった。

 祇園祭に向って精一杯取り組み切磋琢磨する姿は、周囲の人々を感化し、相俟って周囲に良い雰囲気を醸し出す。八坂神社の祇園祭はもはや旧守谷地区だけの祭ではなく、集客力一番の守谷市民の祭に成長した。このように伝統ある盛大な祇園祭は、守谷市民の郷土愛と誇りを育む守谷市の核である。「継続は力なり」、逆に旧守谷地区に歴史と文化に富んだ地域力があるからこそ、祇園祭を継続できたともいえるし、堅固な組織の下で今後も未来永劫継続していくと確信できる。祇園祭は守谷市の貴重な無形文化財で、もはやこれ以上のものは出てこない。守谷市の魅力を更に向上させるために、その保存と活用が是非図られるべきだと考える。

 できるだけ努力したが、力不足もあって調査報告は完璧とはいえない。しかし、皆様の御蔭で細部に亘って色々な調査ができ、多くの新史料が見付かり、いろいろな方々に聞き取りができ、このように記録として残すことができたことは非常に有意義であったと自負している。また、個人的にも大変光栄なことであった。

(平成27年8月31日)