茨城県の南西端に位置する守谷町は関東平野の中央付近にあって、利根川を挟んで千葉県柏市及び野田市と接する。我が国最大の堆積盆地である関東平野は、その中央部で深まり、その周縁部で高まる傾向にあるため、利根川水系の多くの河川はいったんは中央付近に集まった後、東京湾ないし鹿島灘へ流出する(図7参照)。
守谷町は南西端を利根川、北東の一端を小貝川、北の一部を鬼怒川によって限られる(図1参照)。鬼怒川は、洪水防止・新田開発のために江戸時代初期に小貝川から切り離され(図4参照)、常陸川へ向け深く掘削された人工河道を流れる。利根川も江戸時代の承応3(1654)年に南の江戸湾(現東京湾)へ流下した本川の中流域において東の常陸川へ流路を付け替えられ(高梨、1985)、大規模に人手の加えられた河川である。
利根川の両側に広がる利根川低地と小貝川の北東側に広がる小貝川低地の大部分は以前から水田に利用され、二つの大きな低地に挟まれた台地上は畑などに利用されてきた。最近、守谷町は首都への通勤圏に組み込まれ、台地上では宅地化が急速に進み、畑や森林の面積も減少し、土地利用の変化が特に著しい地域の一つである。
守谷町のある台地は古河・猿島台地の先端部に当たり、北相馬台地と呼ばれる。台地は北西の水海道市方面から南東の取手市方面へ幅を狭めつつ細長く伸び(図7参照)、町内における最大幅は約4km、標高は20m前後とほぼ一定である。台地の中心付近は今なお平坦さが維持されている。しかし、低地寄りの台地は波状を呈することが多く、枝節に富んだ浸食谷が台地の中心部へ向かって伸び、小島状に分離された台地も利根川低地に面する高野にある(磯部、1998)。なお、台地を刻む浸食谷はかつて水(谷津)田に多く利用されていたが(図4参照)、都市計画区域を中心に埋め立てられたり耕作放棄地となっている。
一方、利根川低地と小貝川低地は町内において標高10m前後にあり、上流側の北西から下流側の南東へごく緩く低下する。利根川低地の幅は2km、小貝川低地の幅は4kmと河川の規模に反比例するが、これは河川の流路変更前の常陸川に対する鬼怒川及び小貝川の規模の差をまさに反映したものである。すなわち、小貝川低地が小貝川の規模の割に大きいのは、江戸時代初期まで鬼怒川が流入していたためである。常陸川は鬼怒川と利根川の合流点から約50km上流の栃木県小山市内に源流を持つ鬼怒川の支流に過ぎなかったが、流域面積の大きな利根川や鬼怒川の流入後には流量が急増した。
台地・低地は、その境界部などを除けば著しく平坦である。これは両者が流水によって形成された地形であることを示している。すなわち、台地と低地は形成年代は異なるが、浅海における波の浸食・堆積作用、その後の河川の堆積作用によっていずれも平滑にされた地形である。次章では古い方の台地から紹介する。