谷和原村馬場から、守谷町赤法花・同地(どうぢ)を経て、取手市市之代に至る長さ3km以上の半島状の細長い台地は、小貝川に平行して南東へ流下する小貝排水路(五間堀)の谷底平野(幅0.5km前後と大きな浸食谷)及び馬場・御出子(おんでし)間の屈曲する浸食谷(a地点、幅0.05km前後)によって北相馬台地と隔てられる(図12)。さらに、御出子南東の谷和原村内でb・c、守谷町赤法花の北西・南東のd・e、守谷町・取手市境界のfの計5ケ所で、風隙状の地形を持つ細長い谷底平野である浸食谷によって台地が分割されている(写真3)。すなわち、小貝川低地側には6個にも分割された分離台地がほぼ一列に分布し、風隙状の地形に至る直前の地形もg・hなどに認められる。ところで、谷和原村には北相馬台地から明瞭に隔てられた分離台地が常磐自動車道の両側にある(図4参照)。
小貝川低地に面するこれら全ての分離台地の末端部は、北西から南東へ弧状の崖線を緩くなし、斜面林で縁取られている。これに対し、小貝排水路の谷底平野においては浸食谷が台地内部まで深く刻まれて屈曲に富み、著しい対称を見せている。特に守谷城跡(図12参照)のある細長い台地は、守谷(旧古城)沼まで伸びて岬状の地形をなす。
小貝排水路左岸側の多数の支流は、縄文海進時の海食崖の大規模な後退によって裁頭され風隙状の地形が6ケ所にできた。その後の海面の低下によって上流側から延長してきた古鬼怒川は、海食崖を側刻作用によって多少後退させるとともに、風隙状の地形を乗り越え、浸食谷を経由して排水路側の相対的に低く広い谷底平野内へ流下したのであろう。浸食谷の幅は、利根川低地側高野のA地点付近の谷底平野の幅の約4分の1、B・C地点の浸食谷同様の狭さであり、鬼怒川・小貝川の洪水は同じ浸食谷を繰り返し流下せずに、頻繁に流路を変更した可能性が高い。
図13にはe付近の浸食谷の縦断面・埋没台地などが示されている。本浸食谷では、洗作排水樋管上の盛土は小貝川の右岸堤防の役割を果たし、排水路寄りの堤内地は小貝川のある堤外地より明らかに低く、近年まで大きな(古城)沼が残されていた。なお、沖積層の基底と埋没台地の深度はeの約1km上流の常磐新線小貝川付近地質調査資料を参考に推定した。