守谷町の地形は大きく三つに区分できる。すなわち、住宅地のある台地、水田の多い低地、それらの境界部に当たる急斜面である。後者の急斜面は人工河道や自動車道などの土木工事に伴っても形成され、風雨によって崩壊されやすい。一方、前二者の平坦な台地や低地は、流水の作用によって著しく平滑化された地形であり、後者に比べて地形の変化はより少ない。なお、筑波山塊のように突出した地形は町内のどこにも認められない。これは堅硬な基盤岩が-950m前後の地下深部まで潜り、半固結~未固結の堆積物によって厚く覆われるためである。
守谷町のある北相馬台地の成り立ちは、深いボーリング資料などから以下のとおり推定される。第四紀の氷河性海面変動に伴って陸域や海域が交互に出現するとともに、隆起傾向が次第に強まったために浅くなり、遂に陸地化した。ひと続きで平坦な地形は、最終氷期最盛期に至る海面の低下期に大きく浸食され、筑波台地及び下総台地から切り離された。さらに、後氷期の海面上昇に伴い台地は半島化し、湾内の波浪によって浸食され、南西向きの高野や北東向きの赤法花などではその一部が分離・分割された。
多くの分離台地は、新旧の流路に囲まれる点で山間地に見られる珍しい環流丘陵に類似する。また、高野の台川端と根切の2ケ所、赤法花などの6ケ所には、山地で河川争奪によって形成される風隙状の地形も発達する。これらは、台地が浸食される過程で見られ地学的に非常に価値の高い地形である。守谷の文字どおり、浸食谷に関連したこれらの珍しい地形は大規模な土木工事などから守られ、後世に残されるべき貴重な自然遺産である。さらに、江戸時代初期につくられた鬼怒川の河谷地形も、後世に語り継がれるべき壮大な人工遺産である。