①明治14年(図1)
八坂社を囲む道と水海道(みつかいどう)から南下する街道に人家が並び、奥山新田(おくやましんでん)も大きな集落である。畑が多く茶の栽培が相当な規模で行われた。桐(きり)畑も数ケ所に見られる。山林は松林が多く薪木の供給源であろう。古城沼(こじょうぬま)(守谷沼(もりやぬま))は大きな湿地を伴い、周辺は水田地帯である。
②昭和27年(図2)
明治と比べ基本的な植生の変化はない。常総(じょうそう)鉄道が通ったので、守谷駅前が少し発展した。古城沼は水田となった。当時の食料増産の苦労が偲ばれる。
③平成7年(図3)
国道294号開通後の変化は凄まじい。山林などが松ケ丘(まつがおか)、けやき台、みずき野の町並みに造成され、水田には休耕地が目立つ。