1)薪炭(しんたん)農用林

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 昭和30年以前の守谷町の地図を見ると、森林とくに針葉樹林(しんようじゅりん)の多いことに気づく。この地方の森林はその地形から平地林(へいちりん)と呼ばれる。平地林は主に薪炭(しんたん)材を得る目的で植栽された森林で、樹種は針葉樹のアカマツ、クロマツ、夏緑樹のコナラ、クヌギである。また、これらの森林の落葉、落枝および下生え(林床(りんしょう)に生えた草や低木)は堆肥(たいひ)材や家庭用燃料にされた。台地の農村風景がケヤキやシラカシを主とした屋敷林をもつ集落の周りに畑と森林がモザイク状に広がるのは、一定面積の畑を耕作するには肥料の基である堆肥材を得る一定面積の森林が必要なためである。

 守谷町の台地は火山からの噴出物よりなるいわゆる関東ロームに覆われている。火山噴出物であるから極めて貧栄養であり、乾燥しやすい。また台地のため水利の便が悪く、耕地としては極めて不適であった。その上、耕作は牛馬以外全く人力に頼らなければならないため、耕地を広げることは困難だった。そのため一般耕作に比べ管理に人手を要しない薪炭林が経営されることになる。

 マツは貧栄養・乾燥に耐えるためローム台地の植栽に適している。その中でクロマツは海岸地方に多く植栽され、薪炭林としては成長が早いが油煙が多い欠点がある。アカマツは山地の岩崖や火山の裾野に生育している。守谷町地方はアカマツが多く一部にはクロマツが植栽されている。両種が交雑したアイグロマツも見られる。

 マツの植林は2~3年の苗を植え、6~7年後から枝打ちを行い、10年目、次に12~14年目に間伐し、20~25年で皆伐して薪炭材とする。その頃根元の直径は15~20cm、生育のよいものは25cmにもなる。

伐採後、根部を掘り自家用の燃料とした。その間、下生えの刈り取り(山掃除、山さらい)は年末欠かせない行事であった。70年以上100~200年の大径木(たいけいぼく)は建築材となった。

 コナラやクヌギはマツ類より肥沃(ひよく)な土地に植栽された。コナラは台地上のやや乾燥したところに、クヌギは河川敷などのやや湿り気の多いところに植えられた。両種とも堅薪(かたまき)、堅炭として重用された。コナラやクヌギは植栽後10~15年で伐採して、その切り株から萌芽(ほうが)した枝を2~3本残して育て、同じことを繰り返した。両種ともに夏緑樹のため、林床は冬季明るく、上層木が霜除けとなり、ヤマザクラ、エゴノキ、コブシ、エノキなどが侵入していわゆる雑木林を形成してくる。これらの森林も昭和30年代からの石油系燃料の急増によって薪炭の価値が失われ、森林の管理が放棄されていった。その結果、アズマネザサが茂り、クズ、フジなどつる植物による被覆(ひふく)、絞(し)め殺しに加え、昭和50年代からのマツノザイセンチュウによる松の立ち枯れにより荒廃していった。一方、守谷町をはじめ首都圏の台地は工場立地、住宅地として開発が進み、平地林は急激に減少した。


薪炭農用林構造概念図
守谷町沼崎永泉寺付近松林 (1994.5.21.調査)