水系の構造と生物多様性

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春日清一

 企業戦士として働き続け、企業を引退し、静かに暮らし始めた60歳以上の人達は子供時代を多くの生き物に囲まれ過ごした風景を懐かしく思い出すに違いない。しかし、過去の懐かしい遊びも再び再現しようとするとその場所がすっかり失われていることに気づかされるだろう。この様な変化が大人だけでなく、これから成長する子供たちに、またその子供たちが成人したときの社会に何をもたらすかを考えなくてはならない。過去を懐かしんでばかりいられないのである。過去に何があり、今何が起きているかを記憶でなく、しっかりした記録に残さなくてはならない。この様な記録が環境保全の最も初歩的な基礎となる。その意味で守谷町が地域の人たちによる、地域の自然の記録を始められたことは極めて重要な業績として評価されるであろう。地域の環境のより正確な把握はその地域の人でなければ成し得ない。より多くの、より質の高い観察眼の形成と共に、この作業は更に後世に引き継がれ、また多くの地域に広がりを見せることを期待したい。

 主に霞ケ浦をフィールドとし、そこに棲む多くの生物の増加や減少がなぜ起こるのかを見続けてきた。その中で、農村の食料であり、子供たちの遊び相手であったドジョウやフナがなぜ居なくなってしまい、また再びあの魚捕りの感動を取り戻すことが出来るかどうかを述べたい。


フナの産卵回遊と排卵

 釣りの好きな人ならフナのノッコミ(乗込み)を良く知っているに違いない。桜の咲く頃小川や小さな水路に群れとなって、フナやコイ、時にはナマズまでも上がってくる。これは水が温み魚が元気になったのではなく、産卵場所へ向かう産卵回遊である。これらの魚は体外受精であるため数多くが集まり産卵する必要がある。この回遊、すなわち移動は無秩序に行われるのではなく、同じ時に移動が始まり、同じ場所に向かわなくてはならない。時間は魚の産卵準備ができること。すなわち、ノッコミのフナのお腹には大きな卵や白子を持ち産卵準備が出来ていることが産卵回遊開始の時間を決めている。そして、移動方向は水温差を利用しているものと思われる。水温の高い方へ、高い方へと移動し、産卵場所に向かうのである。この水温上昇は回遊だけでなく、雌フナの排卵に重要な役割を持つ。排卵とは卵が筋子の状態からイクラの状態になることをいう。卵はばらばらのイクラの状態となって、フナの体外に放出される準備が整う。この排卵には大きな水温差が必要なのである。桜の咲く頃の水温、12℃に秋から飼育した雌フナを一日かけ、上げる水温を違え、15℃,18℃,21℃,24℃に上げると、6℃水温を上げられたフナは4日目か5日目に排卵し、12℃水温を上げ24℃となったグループは翌日から排卵する。ところが水温差3℃であったり、12℃のまま水温が変わらないグループは排卵できない。この事はフナが産卵するためにフナの生活域の中に6℃以上の水温差のある場所が必要であることを示している。ところが霞ケ浦では一日の間に水温差が6℃以上起こる場所は殆どない。これが霞ケ浦のフナの減少している重要な要因と考えられる。


フナの産卵場所

 さて、それでは昔、フナは何処で産卵していたであろうか。思い出していただきたい。池や沼では水深が浅く、沈水植物が良く茂った場所や水田に水を引き田植えの終わった頃沢山のフナ、コイ、ドジョウ、ナマズが入り込み産卵した。湖沼の水深の浅い場所は太陽に照らされ、昼間水温はどんどん上がり、水温差が出来る。特に水田は浅く水を張り、5月の好天のときなど30℃以上にもなる。この水が水路に流れ出せば水田と川の深みや湖沼の間には大きな水温差が生じ、フナの産卵回遊や排卵には好都合である。

 フナの産卵にはもう一つ必要なものがある。それは卵を生みつける水草である。産卵床と呼ばれており、水草でなくても水に浮くゴミのようなものでも良い。これがないと排卵していても産卵しないことが知られている。

 この様なフナの産卵条件は河川の大水による氾濫原に起こる現象と良く一致し、梅雨時の河川の増水による浅瀬や水溜りの形成は多くの魚類の産卵にとって好都合である。本来、この様な環境の季節変化がフナなどの産卵習性を進化させてきたのであろう。河川の氾濫による浅瀬や水溜りの形成は一時的な現象で、やがて、干上がる危険性がある。このためフナやナマズでは卵の期間が短く、2、3日で孵化してしまう。また一時的な水溜りには、孵化稚魚の天敵である魚類や肉食性昆虫は少なく、孵化直後の最も死亡率の高い時期の餌となる動物プランクトンが豊富となるため、多くの稚魚が生き残ることが可能で、再び増水になった時には大量の魚類を河川や湖沼に供給することになる。水田は氾濫原と極めて良く似た役割を持ち、一時的な水溜りとみなして良い。


未利用水田による氾濫原の復活

 昔の農村の水田や小川の風景は氾濫原的役割を持ち、多くの生き物を育んできた。米の生産性向上のため、水路はコンクリートにより幾何学化され、給水はパイプライン化により生物多様性維持機能は破壊された。本来海から山の中まで生き物の移動が可能な連続した構造は分断されてしまった。しかし、近年農薬の分解性の向上や有機農業の意識改革、それに減反による未利用水田の増加等により、在来生物を復活することが容易になっている。従来見られた豊かな生物相を再現するため、生物に対する機能や役割を考慮した河川や水田の改変はそれほど困難なことでない場合が多い。ちょっとした注意や工夫によって子供たちに楽しい遊びの場を提供し、年寄りの心の故郷を取り戻さなくてはならない。


 (国立環境研究所 地域環境研究グループ主任研究官)